2011年3月11日、23歳だった私は
静岡朝日テレビの同じテレビ朝日系列である福島放送で働いていました。
社会人1年目が終わろうとしていました。

その日はひとり、4月に控えていた福島県議会議員選挙にむけ
須賀川市に事務所を構える現職議員を取材していました。
そして、午後2時46分、その瞬間を迎えました。

最初の異変は、少し離れたテレビから響いてきた
聞きなれない緊急地震速報です。
情報を、状況を飲み込もうとしていたとき、
ゴゴゴゴという地鳴りとともに強い揺れが襲ってきました。
立ち続けるなんて困難な揺れ、
恐怖を感じる揺れは3分以上続いたと思います。
商店街の一角にあった木造の事務所は右に左に大きく揺れ、
私はテーブルの下に隠れました。ふと外に目をやると
花屋のコンクリート製の壁が崩れ落ちました。

翌12日のことも鮮明に覚えています。
津波被害が徐々に明らかになり、私は中継用のヘリコプターの待つ
福島空港に向かうクラックが入った国道4号を走行中、
上司から電話がかかってきました。
告げられたその言葉は大きな衝撃として今も耳に残っています。

『引き返せ!原発が爆発した』

震災と原発事故後、2016年6月まで福島に居ました。
毎年福島に足を運んでいますが、郡山市などは震災以前とほぼ変わらなくなりました。
ただ、原発に近い地域は、今なお、年間の放射線量に応じて避難区域が設定されているため
復興は道半ばです。
30、40年かかるとされる東京電力福島第一原発の廃炉作業は、福島に住んでいた者として、
さらには福島第一原発で作られた電気を使っていた富士市出身の人間として
注視していかなければならないと感じています。

あれから9年。
きょうも、そしてこれからも。
東北、福島に、想いを馳せていきたいです。

写真は私が大好きな猪苗代町の観音寺川の桜並木です。
14日には常磐線が9年ぶりに再開。
冬が長い東北の春は美しい、待ち遠しいです。

画像: 3.11

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