J2磐田コーチ転身の中山雅史「引退」と言わない理由は「未練ある…女々しいんです」/「報ステ」で心境告白

 J2ジュビロ磐田に12年ぶりにコーチとして復帰することを発表した元日本代表FW中山雅史(53)が13日、テレビ朝日系「報道ステーション」(月~金曜午後9時54分)に生出演し、「引退」の2文字を使わない理由を明かした。

 スポーツコーナーの冒頭、「私、中山雅史は昨シーズンを持ちまして、アスルクラロ沼津を退団し、プレーヤーとしてのトレーニングを、ひとまず、ひとまずお休みさせていただきまして、今シーズンはジュビロ磐田のコーチとして活動していきたいと思います。よろしくお願いします」とあ宣言。大学卒業後からのサッカー生活30年間を振り返るVTRを真剣な表情で見つめた後、「いろんなことを経験させてもらった30年間でした」と言い、「(現役生活について)未練はあります。まだ、やりたいという思いはあります。でも、この先が見えないことも分かっています」と続けた。その上で「『引く、退く』という言葉を使うと逃げ場がなくなる。怖いんです。自分のリスク管理です。女々しいんです」などと話した。ただ、第三者が「引退」の文字を使うのは「構わない」と言い、「コーチ業というのも疎かにしたくない」とも話した。

 カズにも報告「『また2トップを』と言われました。だから…」

そして、指導者としての抱負を問われると、「本当に選手に向き合って監督をサポートして全力を投じます。戦う集団にしたいです」と言い切った。磐田のコーチ就任については、元日本代表で横浜FCのFWカズ(53=三浦知良)にも報告したといい、「『カテゴリーを下げても、また2トップを組もう』と言われました。だから、2文字は使いません」と明かした。

 静岡県岡部町(現藤枝市)出身の中山は、藤枝東高、筑波大を経て1990年、磐田の前身ヤマハ発動機に入り、1998、2000年にJ1得点王に輝いた。1998年には4試合連続ハットトリックを達成し、その後に到来する磐田の黄金期を支えた。2010年には当時J2のコンサドーレ札幌に移籍し、2012年限りで第一線を退いた。2015年にはJ3アスルクラロ沼津で現役復帰したが、6シーズンで公式戦出場はなかった。Jリーグでの記録は、J1通算355試合出場、157得点。J2通算12試合出場0得点。日本代表国際Aマッチ通算53試合出場、21得点。W杯の日本代表メンバーには、1998年フランス大会と2002年日韓共催大会で選出された。

画像: 2015年9月5日、J3沼津に入団した当時の中山雅史

2015年9月5日、J3沼津に入団した当時の中山雅史