あれから10年…9割以上が町に戻れない福島県浪江町から避難して(完全版) 「子どもたちに伝え続けたい」 静岡・富士市

 東日本大震災の発生からきょうで10年。富士市で避難生活を続ける福島県浪江町出身の男性を取材しました。「がむしゃらにやってきた10年」。新しい土地で生まれた「縁」。変わらないふるさとへの「思い」。地震の記憶が薄れつつある中、「若い世代のためにできること」。被災地に、そして、今なお避難生活を続ける被災者に思いを寄せます。

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あれから10年…9割以上が町に戻れない福島県浪江町から避難して 「子どもたちに伝え続けたい」 静岡・富士市

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静岡県富士市にある小さな塾。塾を営む堀川文夫さん、66歳。
ここには、15人の小中学生が通っています。
教室の一角…。10年前の原発事故に関する本が並んでいました。

堀川さん夫妻。ふるさと・福島県浪江町を追われ、避難生活が続いています。

「心はあの3月11日のまま」

画像: 堀川さん夫妻

堀川さん夫妻

妻・貴子さん:「日常生活は全く変わらないんですよ。皆さんと同じだし、浪江にいたときと同じなんだけど、やっぱり心は、あの3月11日のまま。だから10年前なんですよ。そのギャップが広がれば広がるほど、苦しいときもある」

堀川文夫さん:「例えば、この間の2月13日の地震がありましたね。あの時に自分では何ともないんですよ。ここも大して揺れなかったから。ただ、向こうで大きな地震があったねってニュースで見たんです。その夜に、(妻は)過呼吸になっている。自分で気づかないけど、やっぱり心の中で、何かがそうさせるんだろうなと、ああまだなんだなというのをそういうので感じます。」

妻・貴子さん:「みんな、まだなんだよね。」

堀川文夫さん:「そう、みんなまだ」

福島県は「自然災害+原発災害。そこが他県との違い」

 福島県浪江町。堀川さんのふるさとです。堀川さんはこの町で、学習塾を営んでいました。生徒2人からスタートした小さな塾。地震が起こるまでの20年で70人近くにまで増えていました。

画像: 福島県は「自然災害+原発災害。そこが他県との違い」

「黒板です。めちゃくちゃです。」

堀川文夫さん:「複合災害としてね。自然災害プラス原発災害という所が、他の県との違いがあるかなと」

堀川文夫さん:「浪江に帰るときがあったりして、様子を見たりすると、ついやっぱり、あの頃はあんなに楽しい生活をしていたのにな。まあ、塾の生徒だってたくさんいたし、友達もいっぱいいたし。色んな遊びもしていたし、そういうのが全部、あの日を機会にピタッと」

発災2カ月後に富士市で避難生活 10年の歳月が流れたが…

 発災の2カ月後、富士市での避難生活を始め、2012年には、塾も再開しました。

堀川文夫さん:「がむしゃらにやった。精いっぱい。この地域の子供たちのためにできることないかとか。いろんなことをやって、ボランティアもやったり、今学校運営協議会の理事もやっているし、とにかく浪江の時ぐらいまでと、何とか、遮二無二頑張ったつもりではいます」

 ふるさとから遠く。避難先の富士市で流れた10年の年月。それでも…。

堀川文夫さん:「私ら、どちらかというと、故郷は向こうだから、向こうとつながっていたいというのがあるんです。いくらこっちに来ても。そのつながっていたいという気持ちがあるんだけど、そのつながりが、どんどん薄れていく。もちろんこっちで生活しているんだから、それは当然なんだけど、こっちに根を張れば張るほど、向こう側の根が抜けていく、なくなっていくという、ちょっと寂しさが、私にはある」

人口2万1000人余りだったふるさと・浪江町。今も2万人が避難生活

ふるさと・浪江町。徐々にその姿を変えていきます。

画像: 人口2万1000人余りだったふるさと・浪江町。今も2万人が避難生活

堀川文夫さん:「10年経ったら、復興の兆しが見えてくるはずなんですよ。自然災害の場合だと。ああ、みんなそれぞれもういっぺんやり直しはじめたんだなと。頑張ってやろうなっていう、何かがあるけど、私らにはそれがない。何年たったって、あそこには戻れないし、あ、私は戻れないと感じているし。いくら国や町が戻れますよって言っても、それは戻れないだろうなと思う人が、9割以上いるわけで、だから戻らないので」

 震災前の人口は2万1000人余り…。いまだ、2万人の町民が避難生活を続けています。

中学校で講演 「いままで経験した基準をはるかに超えていた…」

富士市立富士川第二中学校。

今週月曜日、道徳の特別授業が行われました。

堀川文夫さん:「あの日は、遅い昼食をとって、さあそろそろ塾に行こうかなと、自宅を出るところでした。突然揺れが襲ってきました。最初は細かな揺れ、小さな揺れから始まりました。カタカタカタ…それが今まで私の経験した基準をはるかに超えてきた。その揺れがですね。」

10年の節目。堀川さんが講師を務めることになりました。

画像: 中学校で講演 「いままで経験した基準をはるかに超えていた…」

堀川文夫さん:「この大きな地震と、6号線に達するまで来ている津波。あそこはもう壊れているんじゃないか。それが福島第一原子力発電所のことでした。」

富士市立富士川第二中学校 望月香織教頭:「中学生、10年前というと、2歳3歳4歳と、経験が記憶にない年代ですので、とにかく、一体何が起きていたのかとか、どんなことが大変だったのかということを、実際に体験された方から、それからその体験した方が地域にいるということで、そういう方に触れるということが非常に大事かなと思って、今回堀川さんに講師をお願いしました。教科書なんかも、やはり10年経つので、実際起こったことが載っているけれども、子どもたちにとってみると、教科書に載っている事実、自分の身近ではない存在になってしまっていることもあると思うので、今回こういった形で取り組んだ」

「原発事故は起こらないと信じ込まされてきた。想定外を想定することが大切」

これからを生きる中学生に堀川さんが伝えたこと…。

堀川文夫さん:「原発事故は、起こらないと信じ込まれてきましたが、いや、万が一起こったらと想定外のことを想定するということが大切だということ。」

そしてもう一つ…。

堀川文夫さん:「この地区の人たちと縁がつながりました。そしてその縁を力に私はここで生きていく覚悟が出来ました。つながった縁を大事にしてください。」

30分の講演。

女子生徒(2年生):「被ばくの知識があったから、被害にあわずに避難できたということだったので、やっぱり事前のちしきがひつようなんだなとかんじました。これから、まだ何が起こるかがわからないので、それを自分で調べたりして、知識をつけていきたいなと思います」

「自分事にするお手伝いしかできない。子どもたちに伝え続けたい」

堀川文夫さん:「私が浪江にいたときに、阪神・淡路があったね、大変だったね。で終わっていた。同じだったなと思いました。関心を寄せるというのはこういうことなんだと。自分事にするって難しいことだけど、私らはその手伝いをする。自分事にするお手伝いしかできない。なにがあったか、そこから学んでいくことは何なのか、を子どもたちには伝え続けたいと思っています。」

2021年3月。10年の歳月が流れました。

被災地に思いを馳せ、その声に耳を傾けて…。