4月20日の午後、私はこの春大学生になった青年に会うために
ひとり、浜松に車で向かっていました。
青年の名前は、吉岡優君(18)。
元高校球児で、夢は指導者になることです。

吉岡優君は小学1年生から野球をはじめ、
中学時代は磐田ボーイズで仲間たちと切磋琢磨してきました。
同級生の中には、のちに甲子園に出場した友人もいます。
浜松湖東高校では1年生から公式戦に出場。
最上級生となった新チーム以降も主力として
公式戦でホームランを放つなど、チームをけん引していました。

背番号2が似合う、大きな彼の体に異変が起きたのは2019年の秋。
最初は熱が出て、市販されている薬を飲むと治る。
すると1か月もしないうちにまた熱が出る、という繰り返し。
血液検査をして分かったことは、
彼が小児がんである横紋筋肉腫に侵されていたということでした。
横紋筋肉腫は、骨格筋や骨から発生するがんで、
子供を中心に年間50人~100人が発症すると言われています。
吉岡君の場合、遠隔転移も認められたためステージ4という診断。
そこから1年半、副作用のあるつらい抗がん剤治療や放射線治療を続けていました。

私が彼とはじめて会った、4月20日の夜。
この日も吉岡君は、市内の大学病院で数時間かけて輸血を受けていましたが
車いすに乗った状態で、実家で私を出迎えてくれました。

「薬の影響で少し眠いですが、体調はいい方です」 

野球中継を見ていた吉岡君は大の阪神ファン。
好きな選手は近本選手だと教えてくれました。

「高校野球は闘病で最後までできなかったから、指導者になりたい。」

2019年の年末から始まった抗がん剤と放射線治療で体調は快方に向かいました。
入院は続いていましたが、病院から学校に通い、学校も教室を広くするなどの対応をし
吉岡君をサポート。吉岡君自身、大学で一からまた野球をやりたいと、大学受験。
見事合格し、野球部に入部することも決まりました。
再びグラウンドに戻れる。
そんな矢先、横紋筋肉腫が再発してしまいました。

次なる治療は、国立がんセンター。
治験(薬代)には1か月70万ほどの費用がかかりますが、
吉岡君が所属した中学時代の野球チームの監督らが立ち上げた“優君を救う会”が募金を募り
瞬く間に200万円に達しました。
「野球をしているときが一番好き。
もうできないんじゃないかと思ったけど、いろんな仲間が応援してくれている。
またグラウンドに戻りたい」

と、目を見開き、力強く話してくれた吉岡君。強い生命力を感じました。

病気と向き合い、必死に戦う18歳に私は
『吉岡君が再びグラウンドで、バッターボックスに立つ日まで、取材するからね。
また来るね』と言って家を後にしました。
またすぐに会える、そう信じて疑いませんでした。

しかし、その翌日、21日の夜。
実家にいた吉岡くんの体調が急変。
病院に救急搬送されましたが、午後8時12分に息を引き取りました。

その知らせを聞いたとき、私はすぐには理解ができませんでした。
なぜなら前日に、会話し、あれだけ強く、想いを話してくれたからです。

まさか…。

体調面を考え、話は少しだけにとどめた私の判断は正しかったのか。
実際はもっともっと、話を聞かなければいけなかったのでないか…
がんという病気と闘う患者と一日、一時間、一分がどれほど尊く、大切なものであるか、
私たちにとってのあすが、当たり前に訪れることを、考えていてはいけないことを
気づかされました。

取材ができたのはたったの一日、数時間でした。
それでもご両親は「ぜひ、優が生きた証を伝えてください」と、
涙ながらに話してくださいました。

吉岡優君という懸命に生きた18歳がいたこと、
彼を支えた家族や仲間たちがいたことを伝えられるように、全力を尽くします。

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