新発見! 日本のデニムは静岡県沼津市から始まった 歴史も30年さかのぼり…

 日本初のデニムと聞いて、岡山県・倉敷市を思い浮かべる人も多いはず。

画像: 新発見! 日本のデニムは静岡県沼津市から始まった 歴史も30年さかのぼり…

しかし…

山本被服 山本陵取締役:「当社が戦前につくったデニムが日本で初めて。日本のデニムの歴史は沼津しから始まったと言える」

 日本のデニム史はなんと沼津市でスタート!? 静岡に刻まれたデニム100年の歴史を紐解きます。

革パッチの商標登録の日付は「1931年」

須藤誠人アナウンサー:「私もデニムが大好きなんです。100年も前に日本で初めてデニムを扱った会社が、ここ清水町にあるということなんです。では早速行ってみましょう」

 こちらは駿東郡清水町にある作業服メーカー山本被服。96年前に沼津市で創業。今は企業用を中心に年間1000種類以上の作業服を製造・販売しているのですが…。

画像1: 革パッチの商標登録の日付は「1931年」

山本さん:実は1926年当社が創業した時に国産のオーバーオールの製品を当社で作っていた。

須藤アナ:ここが初めてデニム製品が出来上がったんですね?

山本さん:そうですね、はい。

山本さん:「最近になって(ブランドの)革パッチがあるが、それを商標登録していることが分かって、静岡・沼津発で作っていたと証明できることになった」

画像2: 革パッチの商標登録の日付は「1931年」

 その証拠というのがこちら。自社製品のデニムにつけていた革パッチの商標登録です。

 日本のデニム発祥の地として知られる岡山県倉敷市。その歴史は、1960年代にアメリカから輸入したデニム生地でジーンズを作ったことから始まったと言われています。

 そして、山本被服の商標登録を見てみると…。昭和6年、1931年の日付が。倉敷市のデニム作りより30年も早いことになります。

画像3: 革パッチの商標登録の日付は「1931年」

須藤アナ:分かったのは何年ぐらい前?
山本さん:分かったのは1カ月くらい前
須藤アナ:えええ!?ほんとについ最近
山本さん:つい最近。

雑誌から取材を受け。社員もビックリ

 きっかけは、ある雑誌から日本最古のデニムとして取材を受けたことでした。思いがけない出来事に、社員も…

社員:「すごいことだなとやっぱり。まさかここが発祥だと思っていなかったので」

社員:「えっ? 身近にそんなことがあるのかなと思って、すごいびっくりしたんですけど。誇らしい」

その始まりは…創業者がアメリカに出稼ぎに

 ひょんなことがきっかけで判明した“日本初の称号”。その誕生秘話には驚きのエピソードがありました。

画像: その始まりは…創業者がアメリカに出稼ぎに

 時を遡ることおよそ100年。創業者である山本彦太郎さんが出稼ぎのためにアメリカに渡ったことが始まりでした。

 そこで目にしたのが炭鉱で作業着として着られていたオーバーオール。山本彦太郎さんは「丈夫で着やすい。これは日本でも売れるのでは?」と考えました。

 そして、思いそのままにロサンゼルスに作業服製造所を誕生させました。その名も、「スターオーバーオールカンパニー」。

山本さん:「向こうで3年操業して、その間のかなりため込んだというか、売れ行きは良かったと考えている」

 予想は的中。売れ行きも安定してきた1926年、会社とともに日本に帰国。現地のノウハウを活かした日本初のデニム作業服メーカーが沼津に誕生したのです。

須藤アナ:主力販売品としてオーバーオール出していた?

山本さん:おっしゃる通り。非常に面白いのが、着物を着た女性がデニム製品を縫っている。。社員もオーバーオールをきていると。

須藤アナ:みなさんユニホームのようにオーバーオール着て仕事していたんですね。

山本さん:オーバーオールが、今ですとファッションというか一般的に着られる服だと思うが、当時は作業服として着ていたというアメリカの文化を日本に持ち帰ってきたと。

北海道の酪農関係者たちもこぞって買い求め

 こうして歩みだした日本のデニム史。発売当時は、噂を聞きつけた北海道の酪農関係者たちもこぞって買い求めたといいます。

 しかし、戦後の経済成長の中で売れ行きは次第に低迷。少しずつその役目を新たな作業着に受け継ぐと、1960年代にオーバーオールの製造は終了します。

 当時の様子を感じさせるものが残っていました。

画像: 北海道の酪農関係者たちもこぞって買い求め

山本さん:こちらシンガー社製のミシンで1910年につくられ、アメリカから持ち帰ってきたものなんですけど。

須藤アナ:へえ…。パワーを感じますね。

山本さん:これ実はまだ使えるんですよ。

須藤アナ:そうなんですね、ちょっと回してみても大丈夫ですか? これでデニムも縫っていた?

山本さん:これでさすがにデニムは縫っていなくてですね…

 残念ながら、オーバーオールを縫っていたミシンは、戦時中の空襲で焼失。しかし、このミシンは近くにあった池に投げ入れられて戦火を免れました。

 当時はこのミシンで巾着などをつくっていたそうですが、今では、100年の歴史を色濃く映す唯一無二の存在となっています。

山本さん:(ジャンパー背中見せて)こちらにもミシンの画を記載しているが、当社としてシンボルというか、礎のような存在なので、我々の貴重な財産の1つ。

 沼津で生まれた日本初のデニムを知ってほしい…。その思いから、あることにチャレンジしました。

100年前のオーバーオールを復刻

須藤アナ:これが100年前のオーバーオールの復刻ということなんですね
山本さん:そうですね。写真や資料から再現しまして、完成したのがこちらになる。

画像: 100年前のオーバーオールを復刻

 オーバーオールの製造が打ち切られてから60年。来年創業100周年を迎えるのに合わせて、100年前のその姿がを蘇らせたのです。

担当者:これ当時のデニムの広告だけど、この形ですね、まず最初にこれを形にしたかったというのがあって、これを再現した。

 気になるその着心地は?

須藤アナ:「我ながらものすごく似合っていると思う。始めてオーバーオール着たけど、すごくしっくり着ている。かなり軽いですね、仕事もしやすそうな」

 大きな特徴は3本のステッチ。

画像: 試着する須藤アナ(右)

試着する須藤アナ(右)

 強度を上げるための工夫で、当時画期的な技術でした。そして、あのパッチも忠実に再現。

担当者:「岡山とか広島なんかでつくられたと何を見ても出てくるけど、え、でもこれ1920年代だよなと思って、いつも疑問に思っていて、地元の方にも知ってもらいたいというのが一番大きかった」

山本さん:「沼津市が、当社が作ったとここで明らかになったので、(復刻版)スターオーバーオールを作ったということで、日本全国の皆さんに知ってもらうことが夢」

 100年の時を超えて復刻したオーバーオール。沼津から始まった歴史の1ページがきょうも紡がれています。