井柳教授が見た川勝知事・田辺市長会談 「一方的に非難される不満あったかも」「協力して取り組むべき課題あった」 静岡市
4日、静岡県庁の知事室を訪れ、川勝平太知事と4年ぶりとなる会談を行った静岡市の田辺信宏市長。4月12日で任期満了を迎える田辺市長からは4つの要望があげられました。その一つが川勝知事の「静岡市は政令指定都市として失敗事例」発言についてです。

静岡市 田辺信宏市長:「2016年12月、G3を行ったときです。あの時に報道のみなさんがいる前で、『静岡市は政令指定都市の失敗事例だ』と言った。それは静岡市長として、私は看過できなかった。今でも政令指定都市・静岡市は失敗だったと思っている?」
静岡県 川勝平太知事:「あの時、市長さんは100万都市を目指すと言っていたが、非常に厳しい」
田辺市長:「私は100万都市なんてことは言っていない。私たちは4次総の中では70万は切ったけれども、人間にとって人生を謳歌できるような心地よい都市ということで。その代わり、その人口活力を定住人口ではなく、交流人口とかで補って、人口活力を地域経済の活性化につなげていこうと。そんなふうに修正をしながら、4次総をこれから取り組んでいくので、そのこともぜひご理解いただければなと思う」
川勝知事:「その通りです。もう今、移住希望地が3年連続日本一ですからね。静岡県がもちろん静岡市も含めてだが、理想的な地域として今選ばれていると、こういうことですかね」
田辺市長:「静岡市は政令指定都市の失敗事例だと言った知事が、きょうこういう思いを語ってもらったというのは、大変私にとって心強いし、ありがたいです」
静岡大学の井柳美紀教授は…
川勝知事の発言から7年。その真意に迫った田辺市長について、県内の政治に詳しい静岡大学の井柳教授は。

静岡大学 井柳美紀教授:「田辺市長としても、自分としてはやるべきことをやったというようなプライドや思いはあったかもしれない。静岡市も静岡県も人口流出等の問題は同じく抱えているし、一方的に非難されるということに対する不満というのはあったかもしれない。本来であれば、お互い協力してこういった問題には取り組むべきところだったのではないかと思った」
「プロ野球誘致」「リニア」…退任後の県政・市政についても要望
会談では田辺市長が退任後の県政・市政についても要望をあげています。

田辺市長:「第4次総合計画。3次総を継承して世界で存在感がある都市を目指すという都市目標のもと、様々な施策をちりばめているが、新しい市長さんにも引き継いでもらいたいと思う。日本で60数年ぶりに今、セパ12球団だが、13球団目のプロ野球球団が静岡を本拠地に産声を上げる可能性が高まっている。ぜひ知事に応援をしていただきたい。年間70試合をこなさなければいけないので、ホーム本拠地は清水庵原球場だが、ぜひ県営の草薙球場でもやらせていただきたいなとお願いいたします」
さらに…
田辺市長:「リニアの課題解決の加速化をお願いしたいと思います。私たちはとにかく合意を形成する努力をしていかなければいけない。そんなことを私は強くお願いして、まだ知事は任期がございますので、是非、大局観を持って、それこそ世界レベルでこの問題を解決していただきたいということをお願いしたいと思います」
井柳教授「関係修復すべき段階は他にあった」
自身が退任した後の要望についても言及した田辺市長。井柳教授はこの点についても指摘しました。
静岡大学 井柳美紀教授:「田辺市長としては、色々やり残したこともあっただろうし、未練もあるかもしれないが、選挙で選ばれた新市長に今後のことはゆだねられるべきかと思う。関係を修復すべき段階というのは、もっと他にあったと思う。4日ではなくて、もっとこれまでに時間はあったのではないかと思う。何のための会談だったのかというのはわかりにくいと思う」
会談後、2人は…
これまで「不仲」とされてきた川勝知事と田辺市長。会談後、それぞれ取材に応じました。

静岡市 田辺信宏市長
「申し上げたいことは申し上げたので。知事はとても知識量が多くて、例えばスピーチの中で和歌をそらんじたりして。すごいなと思ったが、時々言葉が過ぎることがある。言葉は武器にもなるし、凶器にもなる。政令市は失敗だ。三保松原の松枯れ対策も静岡市は不合格だと言われたら、私たちが懸命にやってきたから、それは言い過ぎだというふうに反論をする。3期目の4年間は私は何を言われても、なかなか私の言うことが反映されないので、もう皆さんから、なんであんな不仲なんだと言われることをやっぱり市は自粛しなきゃいけないということで、反論してこなかったが、最後なので、きょう、私が申し上げたいことを4つのお願いとして申し上げた次第です。ご理解いただきたいと思う」

静岡県 川勝平太知事
「ここに来たのも、それなりの気持ちを持って来たということは分かっていたので、それでもう1週間しかないので。次の市長さんと関係は良くしていかなきゃならないと思っていたので。ここは彼も気持ちよく、4月12日の退任の日まで過ごしてもらえるようにという思いで、来てもらったことを歓迎した」