コロナ禍で酒を求めて夜の街へ出かける客が減り今求められるのは「夜カフェ」変わりつつある夜の街の姿
コロナ禍を経て、「飲み会」の文化が今、変わり始めています。お酒を飲まずに夜にもカフェへ。いったいなぜ? 静岡市の夜の街を取材しました。
掛川市50代男:
「それこそ最近“飲み会”があまりないので…」
焼津市40代女性:
「若い人で飲む人が減ってきていると思う」
「飲みにケーション」という造語があるように、人々の交流の場として愛されている“お酒の席”ところが・・・。
栗田麻理アナウンサー:
「ここ数年は「コロナ禍による酒離れ」や「アルコール飲料の値上がり」などの背景もあり、そうした“飲み会”自体が減少傾向にあります。そんな中、今、人気なのが、アルコール無しで楽しむ“夜カフェ”です」
夜カフェとは「夜遅くまで営業していて、お酒だけではなく、カフェメニューも楽しむことができる」お店のこと。
照明を抑え、落ち着いたオシャレな空間で、本格スイーツなどを味わえると、今、若い世代を中心に人気を集めています。
藤枝市20代女性:
「ハシゴして1日3軒行ったりとか」
「すごっ」
焼津市20代男:
「友達とご飯食べに行ったあとに、本当にコーヒーとかだけ」
夜カフェ店主(静岡市):
「お酒飲みにふらっと来店する客がコロナ禍になって激減した。違うアプローチで夜の時間帯を埋められたらということで…」
静岡県内で今、“夜の街の姿”が、変わりつつあります。
オーガニック抹茶カフェ 和み
栗田麻理アナウンサー:
「静岡市の中心市街地・七間町です。時刻は夜の9時を回ったところです。街の喧騒から少し離れた路地にあるこちらのカフェ。なんと夜中の12時まで営業しています」
静岡市の中心街にひっそりとたたずむこちらのカフェ。
去年7月にオープンした“夜カフェ”です。
オーガニック抹茶カフェ 和み 𠮷村高彦代表
「お酒を飲まずに夜まで楽しめる場所があまりないので、そういう場所を作ったらお客さんにとってうれしいと思って作った」
看板メニューは島田市川根産の抹茶を使った「抹茶ラテ」
濃さが異なる4つの種類を選べます。
(※ハツコイ・チョイコイ・メチャコイ・ゾッコン)
一番人気は「メチャコイ」です。
栗田麻理アナウンサー:
「すごく抹茶が濃い。おいしい。苦みがほのかに感じられるがミルクと混ざって甘くておいしい」
オーガニック抹茶カフェ 和み 𠮷村高彦代表
「 (抹茶の)「濃さ」と恋愛の「恋」を掛け合わせたら、注文するときに恥ずかしがる人もいますけど、楽しいかなと思って」
なぜ夜にカフェを選ぶのか?こんな声が聞こえてきました。
客(20代)男
「お酒を一度入れちゃうと朝まで飲みたくなるので疲れちゃう。だからゆっくりと平和に過ごしたいときにカフェがいいです」
午後1時から深夜0時まで営業しているこちらの店。
コロナ禍を経て“変化”を感じているといいます。
オーガニック抹茶カフェ 和み 𠮷村高彦代表
「コロナが明けてくる段階でお酒を飲む機会が減って、でも夜まで話したい人が増えているので、ここ1~2年くらいは少しずつ、夜お酒を飲まずにゆっくりする場所が増えてきたと思う」
実際、経済産業省の調査によると、国内のアルコール購入額は年々減少。
その一方でノンアルコールの販売額が年々増加しているといいます。
アイスは夜食
こうした需要に応えようと、静岡市内では次々と変化が…。
葵区七間町にあるこちらのお店では、昼と夜で“別の顔”を持ち合わせているといいます。
アイスは夜食 村上建司店主
「ランチタイムはオムライスやパンケーキなどのカジュアルなお店。夜になると、僕らぐらいの40代のサラリーマンとかが飲み終わりにふらっといらっしゃったりというのもある。パフェだけ食べて帰られますね」
営業時間はランチタイムから深夜0時まで。
ところが、夕方5時以降になると、同じお店で「アイスは夜食」という夜カフェがオープン。
夜は“洋食店とカフェの二刀流”で営業しているという珍しいお店です。
看板メニューは17種類のオリジナルパフェです。
栗田麻理アナウンサー:
「いただきます。キャラメルのほろ苦さとアイスの甘さがマッチしていてとてもおいしいです。このナッツの食感もいいですね
アイスは夜食 村上建司店主
「お酒を飲みにふらっと来店する客が実際コロナ禍になってから激減したので、それで違うアプローチで夜の時間帯を埋められたらということで、今回その夜アイスという業態を入れた」
コロナ禍で変化してしまった人々の生活。
店側の試行錯誤によって「夜カフェ」という新たな文化が始まりました。
アイスは夜食 村上建司店主
「思ったよりも反響が良くて、(夜の)9時とか10時くらいに来店する人がけっこういて、需要に合ったものができている印象」
コロナ禍で一時的に失われた街の活気。
すでに居酒屋などは元に戻りつつありますが、「夜カフェ」という形で、街には新たな挑戦が始まっていました。