「道はひとつじゃない」交通事故で利き手の右腕を失った静岡市葵区出身の伊藤真波さんが子どもたちに伝えたいこと
静岡市出身の女性が新たなギネス世界記録を打ち立てました。二十歳で不慮の事故に遭いながらも夢をあきらめず、看護師、パラスイマー、そして母親になった先に達成した記録とは。
世界最長・カスタムメイドのバナナカーに豚がスケートボードを押して10m走った最速タイム。30秒間で鉄棒のつま先付け回りの最多数など、世界中で驚きの記録が生まれる中、静岡市出身の女性が新たな『ギネス世界記録』に認定されました!
まるで右腕のように、繊細な動きでバイオリンを奏でるのは”義手”です。世界初の『義手の隻腕バイオリニスト』として静岡市葵区出身の伊藤真波(いとう・まなみ)さんがギネス世界記録に認定されました。厳しい審査基準がある中、2012年からおよそ1000回にも及ぶステージに立った実績が認められ、”新しい記録”として登録されたのです。
カメラは、活動を始めたばかりの頃から真波さんを追いかけていました。
●伊藤さん:
「リハビリで始めたバイオリンだったんですけど今ではリフレッシュできる良い趣味になっています」
真波さんのこの右腕は生まれつきではありません。看護学生だったハタチの時、交通事故で利き手の右腕を失ったのです。
それでも夢を諦めず、特別に作って貰った”看護師専用の手”で憧れだった白衣に袖を通します。
●伊藤さん:
「二十歳の女の子にこのフック船長の手はあまりにも衝撃的で、はい、最初いらないって言ったほどだったんですけど、リハビリをするうちに(この子じゃないと私は看護師にはなれない)この子と一緒じゃなきゃ私は看護師とは言えないと思うようになったので、今では相棒です」
この義手は肩甲骨の動きに合わせてワイヤーが伸び縮みし、先が開いたり閉じたりするのです。慎重な動きが必要とされる採血もこの手があればご覧の通り。
バイオリンの義手も同じ要領で動かしているのです。看護師の顔に、バイオリニストとしての顔。そしてもう1つ真波さんには驚きの顔が。
義手を使いこなすため、リハビリの一環で始めた水泳。次第にのめり込んでいきます。努力を積み重ねた結果、日本代表となり2度もパラリンピックに出場。その時の日本記録はまだ誰にも破られていません。片腕ということを言い訳にしないため、必死に突き進んできたと言います。
その後結婚し、母親となってからは、、、
家族が真波さんの右腕となってくれていました。子育て用の義手というのは無いため、真波さん1人の時はオムツ替えにもひと苦労。
今では3児の母。子どもたちが真波さんをサポートしてくれるようになっていました。
真波さんのように突然腕を失うと、何年経っても右腕の感覚はまだ残っているようです。
●伊藤さん:
「鉛筆渡されるとちょっとこう出ます。「あの漢字どんな漢字だったっけかな書き順どうだったっけかなって右手で書いてます頭の中で、左手そこまで万能じゃないです。自分の中で」
バイオリンも頭の中の右腕で弾くイメージで義手を動かしていると言います。
世界に1つだけのバイオリン義手を作った職人さんは今回の偉業達成に・・・
●職人さん:
「ようやってくださいました。作り甲斐があるという感じやね。苦労なんか忘れちゃう。
●伊藤さん:「ありがとうございます。考えてみれば私はずっと負け続けてたなって思いなんです、私の場合は。看護師、水泳、バイオリン、今ここで挫折してるけどこっちなら頑張れそうだなってこの道を。子どもたちに(道は)1つじゃないんだよって、伝えています」
