繰り返された不在着信、折り返しに応答なく…土石流で妻を亡くした夫の思い「涙を見せずにやってきたけど、最近は…」静岡・熱海市
70代の夫婦二人暮らし、今はひとりで
熱海市内の市営住宅。
田中公一さん:
「きょうはね、サバのみりんを焼いてくれてあった。これは、ゴルフ仲間からもらったんだけど」
田中公一さん、72歳。被災前は伊豆山の戸建てで、妻と2人で暮らしていました。
「夜ご飯にしようね」
妻・路子さん、当時70歳。旅行好き。優しく、面倒見のいい人でした。
田中公一さん:
「いつもこんな感じです。きょうは(品数が)多いと思う」「いただきます」
「これは、災害前。家の前。こんな感じの家だった」「一番生々しいやつ。一週間前、これは、あとから携帯からプリントアウトして」
路子さんとのツーショット。孫は4人。思い出がよみがえります。
田中公一さん:
「なんか、虚しさだけがどんどん大きくなってくるよね」「うーん、何とも言えないな・・・」
「本当に、安らかにしててくれているのかなっていう、そういう心配だよね」「そのいない寂しさ。いる時には感じなかったんだけどね。いなくなってみてね、本当、うん。その寂しさはあるよね」
2LDKにひとり…。
不在着信に折り返すも、応答はなく…
死者・行方不明者28人。
田中公一さん :
(Q:家の中には?)「女房だけ」
(Q:何かの用事で出掛けていたか?)「女房の知り合いが上のほうにいるから、それの安否確認に俺は家から出た」
発生の翌日、田中さんは、被災現場近くにいました。
「11時25分に不在着信が来ている。25分、26分、32分、42分。それで気が付いて、俺が47分に発信したけど、応答がなかった」
田中さんは、来る日も来る日も、現場に通いました。路子さんが見つかったのは5日後でした。
田中公一さん(2021年8月2日):
「やっぱり前に進まないといけない。だけど、まだ実感的にどこかから帰ってくるんじゃないかって、そういう気持ちもある。本当に安らかに眠ってほしい」
孫が走り回れるような新しい家を
造園業を営んでいた田中さん。
「これが古い葉っぱ。これがだから、力がなくなるから、こうやってやるとパラパラ落ちる」
発災から2カ月が経った去年9月、仕事を再開させます。市内で30軒ほどを担当。路子さんが手伝いに来ることもありました。
「どうにか飽きずに40年来たよ」「女房も俺がこうやって仕事しながら、動いていることをたぶん喜んでいると思うよ」
ここは、田中さんが仕事で使う道具を保管している小屋。土石流の現場からは300メートルほど離れていて、被害はありませんでした。田中さんは、この場所に、新しい自宅を建てるつもりです。
「子どもたちや孫が走り回れるような、そういう場所になればいいかな」
今年中の完成を目指しています。
田中公一さん:
「孫と子の記憶の中に、ここの場所が残ってくれれば」「災害前に生まれたのはここで記憶を作ってってくれれば、その場所を与えるっていうのが、爺さんの役目であって、爺さん亡き後は、自由にどうしようと、構わないっていうか」
毎月3日には必ず会いに…
毎月3日。田中さんは、必ず、路子さんに会いに行きます。
「いやー、もう11ヵ月だぞ。早いな。孫も子供も元気でやっているから、遠くで見ててやって。お願いします」
「いろんなことをして、俺もなるべく涙を見せないでやってきたけど、最近は弱いね。もろに寂しさっていうのが出てくるよね。いろんなことを恨んだり悔んだりしても、俺の気持ち自体は変わらないから、それよりも明るく前を向いていく。それが一番女房に心配かけないで、いけるんじゃないかなって、思いが最近しています。そんな11カ月目ですよね。」
2022年6月3日。
11カ月が経ちました。