静岡を代表するソウルフード「静岡おでん」
画像: 静岡おでん

静岡おでん

 牛スジなどでとったダシにしょうゆを加えた真っ黒いスープでおなじみの、静岡を代表するソウルフード「静岡おでん」。そのルーツは、大正時代まで遡り、当時、廃棄処分されていた牛スジや豚モツなどを捨てずに煮込む材料にしたことが始まりと言われています。

 そんな伝統ある「静岡おでん」の店主がいま、新型コロナの影響で苦境に立たされています。

杉浦さん:「横丁だけでは、本当に心が折れちゃいそうなくらい何もできないと思った」

店主が考えたのは…

静岡おでんの人気スポット「青葉横丁」。今年6月、ここにあった店を閉め、駿府城公園の店だけになりました。しかし店主は、そんな苦境の中でも…

杉浦さん:「おでんとピクニックを合わせたようなやり方を思いついた」

 店主が考えたのは、おでんとピクニックを融合させた静岡おでんの新しいスタイル「おでニック」。それは、駿府城公園 という開放的な場所を生かし、いすやテーブルを貸し出し、密を避けて好きな場所でおでんを食べることができるという提案です。

市民は「子どもを連れてこようかな」

 そんな店主の 提案に…

静岡市民:「いいですね。日曜日は(人が)集まるからいいじゃないですか」

静岡市民:「子どもを連れて、来ようかなと思います」

 新型コロナによる大きなに影響を受けた店主。しかし、残った駿府城公園という特別な場所で、再起をかけた闘いが始まりました。

「おばちゃん」の店主は、おじさん

 静岡市葵区にある駿府城公園。徳川家康が大御所となり、最後の居城に定めた駿府城の跡地です。舞台はその中にある「おでんや おばちゃん 駿府城公園店」です。

画像: おでんや おばちゃん 駿府城公園店

おでんや おばちゃん 駿府城公園店

ディレクター:おはようございます。
杉浦さん:おはようございます。
ディレクター:今日は、よろしくお願いします。
杉浦さん:お願いします。

 こちらは、店主の杉浦孝さん、46歳。おばちゃんではなく、中学2年生の娘さんもいるれっきとした男性です。

ディレクター:杉浦さん、生まれも育ちも?
杉浦さん:静岡市です。もともと、やっぱり駄菓子屋でおでんを食べていたので、今度は駿府城公園で「おでん」というのも、市民の文化のひとつになれば良いなと思って、やっていますけどね。

昔おでんを食べた駄菓子屋にいたのは…

 子どもの頃、学校帰りに近くの駄菓子屋に寄って、静岡おでんを食べていた思い出を持つ方も多いのではないでしょうか。

画像: 杉浦さん

杉浦さん

杉浦さん:「おばちゃんがいる店のように気軽に寄ってもらいたいと思って、私は男性だったので、店におばちゃんの象徴でもある割烹着を着て立っていれば、気になってくれるかな思ったのがスタートで」

 昔おでんを食べた駄菓子屋には、いつも気軽に話しかけてくれる「おばちゃん」がいた、というという杉浦さんの思い出が、店名の由来になっています。新型コロナによって、すっかり様変わりした日常。そんな中、新たな闘いがスタートしました。

チェアリング…

杉浦さん:「駿府城公園で商売している一つは、特殊な場所で、そこで私がおでん屋としてできることって何だ? というのを友だちと話していて、チェアリングというのが今、流行っているみたいで、クラウドファンディングというのがあるから それをPRしながら、資金も集められる仕掛けもしていこうというのを教えてもらって今、継続中という感じです」

画像: チェアリング

チェアリング

 チェアリングとは、アウトドア用のいすを持ち、好きな場所でお酒を飲んだりすること。駿府城公園という開放的な空間なら、密を避けることもできます。そこでクラウドファンディングを活用し、いすなどのアウトドア用品を購入する資金援助を募っています。クラウドファンディングとは、インターネットを介して不特定多数の人たちから資金を調達することで、群衆という意味のクラウドと資金調達のファンディングを 組み合わせた造語です。

杉浦さん:「もうちょっと秋になったら、いいかもしれませんよ。本当に、ピクニック」

ディレクター:その時に、いすが活躍してくれれば

杉浦さん:「そうそう、活躍してくれれば。それで最終的には、気軽にみんなが自分の家からアイテムを持ってきて、駿府城公園を楽しむ場所にしてくれたら、なおいいですよね」

 この日、杉浦さんは、おでんの食材を仕入れに向かいました。 行き先は静岡市葵区の流通センターにある「小倉屋」。業務用の食品を取り扱う問屋です。

杉浦さん:「ここで『はんぺん』とか練り物を仕入れます。高校の時の同級生です」

ディレクター:本当ですか? 同級生だから、店に来てくれているののですか?

杉浦さん:「いいえ、それは後から知ったぐらいだよね」

白井さん:「たまたまサラリーマン時代も(店に)来ていた」
杉浦さん:「来ていたな」
白井さん:「うちと取引があって」
ディレクター:杉浦さんはどんな高校生でしたか?
白井さん:「いや、面白かったですよ」
杉浦さん:「一緒に、高校の卒業旅行で沖縄を、船で神戸から一週間ぐらいだよね。往復、船で」

 それから約30年、社会人となった今でも関係が続いています。杉浦さんは、静岡市内の高校を卒業、東京の大学へ進学。その後、静岡市に戻り、食品卸の会社に就職しました。しかし、父の死が転機となり、やりたいことをやろうと、27歳の時、飲食業の道に進みます。 そして、2009年、静岡おでんの中心地とも言われる青葉横丁に店を構えるまでになりました。さらに、おととしの6月には2店舗目の駿府城公園店をオープン。 順調だったところに、新型コロナが影を落としました。

画像: 青葉横丁

青葉横丁

 静岡市葵区にある「青葉横丁」。狭い通りに、赤ちょうちんを掲げた 静岡おでんの店が軒を連ねる昭和レトロなおでん街です。

ディレクター:店を閉めたのは?

杉浦さん:「6月20日ですかね」

 杉浦さんは今年の6月20日までの約11年間、青葉横丁に店を構えていました。 しかし、閉店間際の5月には、売り上げが半分以下になったといいます。

杉浦さん:「こっちは特に 県外や海外の人に喜んでもらう店だと思ってやっていたから、一番人と人とをつなげる場所としては楽しい場所だった。でもそれのすべてが密にもなるし、県外からの移動もだめだし、という3密になる状態が一番リアルだったので、ここではできないと思い、心が折れた」

新型コロナの影響で、一度は心が折れたといいます。そして、2つの店舗には、 従業員も数多く働いていました。

杉浦さん:「青葉横丁では5人、駿府城公園には8人いたのかな。最初は雇用調整助成金も活用してやっていたが、それ以上にお金の支出のスピードが速すぎた。 売り上げがないのに、お金が出ていく状態が続けば、多分、両方のお店をやめざるを得ないと。駿府城公園というのは特殊な場所なので、そっちに専念してみようかと。やっている人がいないじゃないですか。だから私しかできないことって何かあるのかなと思い考える方が前向きになれた」

 杉浦さんは、一つのお店に絞るという大きな決断をしました。そんな杉浦さんのことを周りの人たちも気にかけていました。

静岡おでんの会 海野秀樹会長:「彼の行動とか見ていると、僕も刺激になりすし、 負けていられないなと思います。自分の飲食仲間もそう思っていると思います」

刃物の政豊 沼田千晴代表:「すごく一生懸命やってくれるから 僕らも応援したくなるし、まだ僕らができていないことで、いろんなアイデアを彼にも提案したいと思う」

綜合食品卸問屋小倉屋 小倉圭太郎社長:「いや、ぜひ個人的には、あそこでおでんを食べながらビールなんか飲めたら最高だと思いました。子どもたちもきっと喜ぶと思います」

 新型コロナで、すっかり様変わりしてしまった日常。そんな中、杉浦さんにとっての“静岡おでん”とは?

杉浦さん:「いわゆるソウルフードというか、自分が小さい頃から身近な食べ物でしたが、人と人とをつなげる潤滑油のような役割の静岡おでんをどうやって伝えていくかが、私の仕事かなと思っています」

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