この市営住宅に移り住んで3カ月。一人での生活は、まもなく半年になろうとしています。

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妻・路子さんを亡くした 
田中公一さん(72):「電子レンジとケトルはいただいています。あとテレビ、冷蔵庫」

最愛の妻が…

田中公一さん、72歳。土石流によって最愛の妻・路子さん(当時70)を亡くしました。自宅は流されましたが、一緒に流された写真は見つかって手元に帰ってきました。

Q.初めて孫を抱いた時の感想は?
妻・路子さんを亡くした
田中公一さん(72):「やっぱり可愛いよね。退院してきてすぐうちに来たから。初めてのおばあちゃんで楽しんで、娘と一緒に沐浴させてたんだけどさ」

 趣味のゴルフで市民大会に出た時の優勝カップと並んで、路子さんとの思い出の写真が飾られています。仕事で出会い、30年以上人生を共にしてきました。

妻・路子さんを亡くした 
田中公一さん(72):「今になってくると1人俺が残されて、なんとなく寂しい。それも11月に納骨したからかな」

 7月3日、熱海市伊豆山で発生した大規模な土石流。26人が亡くなり、いまだ太田和子さんの行方が分かっていません。

 発生翌日、現場には妻・路子さんを探す公一さんの姿がありました。

田中公一さん:「11時25分に不在着信が来ている。25分、26分、32分、42分。それで気が付いて俺が47分に発信したけど、応答がなかった」(7月4日)

 家から外に出たわずかな時間に起きた出来事。5日目に路子さんが見つかるまで、毎日通い続けました。

田中公一さん:「やっぱり前に進まないといけない。だけど、まだ実感的にどこかから帰ってくるんじゃないかって、そういう気持ちもある。本当に安らかに眠ってほしい」(8月2日)

画像: 最愛の妻が…

被災して母と暮らした市営住宅

後藤光雄さん:「地獄のような光景です」

 発生から10日後に許可された一時帰宅。この映像を撮影したのは被災した後藤光雄さんです。あの日、光雄さんは母・てる子さんを背負って裸足で飛び出しました。今も自宅に戻れず、熱海市内の市営住宅で生活しています。

母・てる子さん:「最高です。朝から晩までこのいい景色、私には一番いい景色です。今まで住んだ家で」

後藤光雄さん(75):「あそこに賞状が飾ってありますけど、記念に映していってください。100歳の長寿を達成、あと3カ月ぐらいはありますけどね」

母・てる子さんは来年1月が100歳の誕生日でした。

今月2日―
葬儀屋:「今98ですか?」
光雄さん:「99です。1カ月ちょっとで100歳」

(車にご遺体運ばれトランク閉まる、担当者手合わせる、光雄さん見送る)
てる子さんは老衰のため、99歳で息を引き取りました。

後藤光雄さん(75):「5カ月間ですね、あっという間に過ぎましたね。まあ、いろいろありました」

母が好きだった、今の住まいからの景色。光雄さんは伊豆山の自宅に戻るか、まだ決めていません。

後藤光雄さん(75):「喜んで亡くなったと思いますし、私も何も悔いはありません。みんなよかったです」

画像: 被災して母と暮らした市営住宅

これからも伊豆山で…

 公一さんは仕事に出る前、路子さんに手を合わせるのが日課です。

妻・路子さんを亡くした 
田中公一さん(72):「これが古い葉っぱ。これがだから、力がなくなるから、こうやってやるとパラパラ落ちる」

30歳目前で造園の仕事を始め、以来40年この道一筋です。

妻・路子さんを亡くした
田中公一さん(72):「どうにか飽きずに40年来たよ。付き合ってくれるお客さんがいるからさ」

発生から2カ月が経った9月から本格的に仕事を再開。熱海市内で30軒ほどを任されていて、以前は路子さんが手伝いに来ることもあったそうです。

この日の仕事現場からは…。

妻・路子さんを亡くした
田中公一さん(72):「そこのほら、電子柱のずっと向こうに石塔が並んでいるところあるじゃん。あの中でも下の方の左側に少し枯れた木が見える。下のところにうちのが眠っています」

発生からまもなく半年。公一さんはこれからも伊豆山を離れるつもりはないといいます。

妻・路子さんを亡くした 
田中公一さん(72):「女房も俺がこうやって仕事しながら、動いていることをたぶん喜んでいると思うよ。あんまり遊んでいるのが好きなタイプじゃないから。俺がゴルフに行くのはとりあえず月に3回なって言って」 

画像: これからも伊豆山で…

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