【特集】「地獄の光景でした」被災した親子の5ヵ月間 静岡・熱海市土石流災害
ここがお気に入り
母親 後藤てる子さん:「最高です。朝から晩までこのいい景色で」
もうすぐ100歳になる後藤てる子さん(99)。自宅があった伊豆山地区を離れ、熱海市内の市営住宅で次男の光雄さん(75)と2人で暮らしています。
後藤光雄さん:「ここはもう、うちのばあさんがね、ここを気に入ってるみたいですから、ここは気に入ってるみたいですから。気に入ってればそれでね。喜んでますから」
発災3カ月が経った今年9月、新たな住居での生活が始まりました。
あの日…
7月3日。熱海市で発生した土石流。26人が犠牲になり、未だ1人の行方が分かっていません。
発災9日後。後藤さんとてる子さんは、市内のホテルで避難を続けていました。
発生直後、家から飛び出した後藤さん。
後藤さん:「靴ははいている暇がないから裸足だよね。裸足でとにかく背負って滑りながら(逃げた)。でも、怖いとは思わない。必死だから」
てる子さんを背負い命からがら逃げ出した後藤さん。発災後、犠牲者が見つかる日々が続いていました。
後藤さん:「親子生きてるだけでもね。高齢のね100歳になるようなおばあさんがね、まだ生かさせてもらったというね。ありがたいことですよ」
地獄の光景
後藤さん撮影:「これが僕の家の前です。下が土石流があった場所です。ここから一気に上から土石流から流れて、地獄の光景でした。前の家は2軒とも流されてなくなりました。」
7月12日の一時帰宅。
自宅は難を逃れたものの、瓦礫や土砂が残ったまま…。このとき、てる子さんのお経の本やメガネなどを持ち出しました。
ホテルを転々とする日々
自宅からホテルへ。そしてまた別のホテルへと…。転々とする日々が2カ月続きました。それでも…
後藤さん「私の部屋は広くて、ばあさんも喜んでいます。景色もいいですしね」
この日、後藤さんが向かったのは、市内の自家菜園。仲間と一緒に、空心菜など数種類の野菜を育てています。
後藤さん:「ちょっとした家庭菜園。狭いんですけどね。楽しみに」
記者:「土石流が流れた所で畑やってた人もいるんですか?」
後藤さん:「ありますね。ダイコンとか作っておられましたよね(全部だめになっちゃいましたね)」
記者:「そうですね」
発生から2カ月…市営住宅へ
9月14日。
避難所のホテルから、市営住宅へ移りました。発災から2カ月と少し。てる子さんは、被災したの日のことを話してくれました。
後藤てる子さん:「あの3日は恐ろしたっかたこと、脳裏から離れません。こんな重い私を背負ってね。道なき道を急なところを上がったり下りたりして、もう、私には暗いし電柱で大勢の方が照らして私背中で泣きました。本当にこんなありがたい」
朝昼晩、食事は全て光雄さんが作ります。てる子さんは毎日、ベランダから見える海や山の景色を見て過ごしています。
母親 てる子さん:「最高です。朝から晩までこのいい景色で、私には一番いい景色です。今まで住んだ家で」
壁にある「賞状」。てる子さんはもうすぐ100歳を迎えます。
100歳を目前に…
後藤さん:「きのうも最後、息止まりますよて。看護師から言われていて。今止まりました。静かに何の苦しみもなかったですよ」
1日、てる子さんは老衰のため息を引きとりました。99歳でした。
後藤さん:「35キロぐらいかな」
葬儀屋:「もうちょっとあるかな」
葬儀屋:「今98ですか?」
後藤さん:「99です。一か月ちょっとで100歳」
(遺体車に運ばれる。担当者手を合わせる)
後藤さん:「まあ、いいことも悪いことも色々ありましたけど、これが人生でしょうね」
「看護師が来られてね。毎日のどういうような状況が書いてありますね」
「喜んで亡くなったと思いますし、私も何も悔いはありませんし。みんなよかったです」
発災から5カ月
5カ月が経ちました。
後藤さん:「5カ月間ですね、あっという間に過ぎましたね。まあ、いろいろありました」