【土石流1年】毎日通った被災現場…妻と連絡取れない5日間(完全版) 家族のために…伊豆山に新しい家を 静岡・熱海市
田中公一さん、72歳。被災前は、伊豆山の戸建てで、妻と2人で暮らしていました。
田中公一さん:「これは、路子の姉が作ったもの」
妻の路子さん。当時70歳。
田中公一さん:「夜ご飯にしようね。」
旅行好き。面倒見のいい、優しい人でした。
田中公一さん:「いつもこんな感じです。きょうは多いと思う、品数が。豪華になっちゃった」
田中公一さん
「これは、災害前。家の前」
「一番生々しいやつ。一週間前」
「家で一緒にご飯食べたりしていたんだけどね。」
田中公一さん
「虚しさだけがどんどん大きくなってくるよね。うーん、何とも言えないな…」
田中公一さん
「本当に。安らかにしていてくれているのかなっていう、そういう心配だよね。やっぱり、同級生なんかでも夫婦でいる姿を見ると、やっぱり悲しいよな。今まで去年まではあの状態が俺たちにもあったんだなと思って。そのいない寂しさ。いる時には感じなかったんだけどね。いなくなってみてね、本当、うん。その寂しさはあるよね。」
発災後毎日通った被災現場…発見されたのは5日後
去年7月4日
発災翌日、田中さんは、被災現場近くにいました。
田中公一さん
「だから、正式に何人が行方不明になっているのか、本部のほうで何も発表しないから」
自宅にいた路子さんの安否がわかりませんでした。
田中公一さん
「11時25分に不在着信が来ている。25分、26分、32分、42分。それで気が付いて俺が47分に発信したけど、応答がなかった」
田中さんは、来る日も来る日も、自宅があった場所に通いました。
田中公一さん
「残念ながらきょうは、発見出来ませんでした。多分入り口に近い方の道路の所から、せめてもらって行ったんですけど、この辺で見つからなくて…」
路子さんが見つかったのは5日後でした。
田中公一さん(8月2日)
「今は、こういう状態だけど、最初は見られたもんじゃなかった。3日目の月曜からは、私はここで、多分赤くなっている木の前あたり、あの辺で多分女房が見つかっていると思う。その辺の捜索をお願いしたりして」
田中公一さん
「あれもこれも考えるよね。いれば2人で死んでいるよね。絶対。間違いなく2人。だから逆に子どもの立場からすると、1人でも残ってくれた、って子どもたちは言ってくれているんだよね」
田中さん電話
「3時頃までにホールに行くよ。その時にちょっと生花のリスト、荒く書いてあるので、持っていきます」
田中公一さん
「少しずつでも前を向かないと、と思って。来月、あ、もう今月か。8日に一応告別式みたいな葬儀を執り行って一応、けりを、ちょっとした気持ちの整理をつけたいなと思って」
熱海市主催の追悼式
発災100日、去年10月10日に開かれた熱海市主催の追悼式。
田中公一さん
「やっぱりこみあげてきますよね。だけど、俺なんかも、めそめそしているわけにはいかない。仕事もやらなきゃならないし。子ども、孫を女房から託された。立派に育てあげなければ、女房にあわせる顔がないと思う。100日経って、それで俺も生活しないといけない。幸い仕事を依頼されて、待っていてくれているお客さんもいるし、そういう方々に支えられながら、これからも明るくいかないといけなと思います」
毎月3日は妻に会いに行く
造園業を営む田中さん。発災の2カ月後には、仕事を再開させました。忙しいときは、路子さんが手伝いに来ることもありました。
田中公一さん
「納骨してから、夜寂しいなっていう。今までだって喋っているってわけじゃないんだよね。2人でいるときに。同じようなテレビ一緒に見ていてもさ、喋っているわけじゃないないんだけど、同じ状況に今なっているんだけどさ、なんかこう、雰囲気が」
毎月3日は、必ず路子さんに会いに行きます。
田中公一さん
「いやー、もう11ヵ月だぞ。早いな。孫も子供も元気でやっているから、遠くで見ていてやって。お願いします」
田中公一さん
「来月1周忌になるんだけど、早いし、最近になって思うのは、むなしいね。その一言だと思う。恨み辛み言っていても、それが、自分の生活の中にどれだけプラスになってくるのかそういうのも分からないしね。それだったら、上を向いて、お天道様を見ながら、商売柄ね、お天道さんを見ているのが多いからね。そういう明るくいくしかないと思っている」
家族のために…伊豆山に新しい家を
5月27日
田中さん、伊豆山に、新しい家を建てるつもりです。
田中公一さん
「こういうふうにしてやらないとしょうがないと思うんだよな。だだお墓だけあれしていても。そうじゃなくて、やっぱり。ここが、仏壇になるんだけど。路子も然りだけど、俺も先祖代々の位牌が残ったから、それもちゃんとしなきゃいけないし。そういう風にあれして、ずっと続いてきて、田中家っていう、結局、元が、あそこがなくなっちゃったんだけど、他のところに。自分の地所の中に」
田中公一さん
「これが建物で。こんな感じ。今こういうふうに置いています。玄関が大体ここあたり。ここになります」
田中公一さん
「孫どもの記憶の中に、ここの場所が残ってくれればいいかなと思って。だから下手するとばあばも忘れ去られちゃうかもしれない。災害前に生まれたのが、ここで記憶を作っていってくれれば。その場所を与えるっていうのが、じいさんの役目であって、じいさん亡き後は、もう自由にどうしようと、構わないっていうか」