泥に埋まった被災地…見つかった災害拾得物は10万点 思い出の写真も泥だらけに…1枚1枚洗って被災者に 静岡・熱海市の土石流災害
使い込んだ様子のランドセル。大量のレコード。土石流で被災した現場から回収された災害拾得物 およそ10万点。熱海市は被災した140世帯に向けて拾得物の返却準備が整ったことを発表。貴重品を除いて、所有者への引き渡しが8日から行われました。
熱海市生涯学習課 富岡久和課長:「被災された皆さんにとっては思い出深い品々がここにある。全部ここにあるわけではないけど、1つでも多く皆さんの元に帰ればと思っている。発災当時、あの(伊豆山の)谷は泥水で埋まっている状況でした。そのような中 人命救助をしながらこういった物をあげてきてくださった捜索隊の皆さんには感謝しかないです」
時計の針は11時36分を指したまま
捜索隊が回収した中には時計も…。針は11時36分を指したまま。土石流に巻き込まれて、止まってしまったのでしょうか?
被災者にとって拾得物は「思い出の品」。中でも、数多く回収されたのが写真です。その数およそ6万枚。一枚一枚に被災者の様々な思いが詰まっています。
捜索を続けた漁師さんも
写真を見つけたのは捜索隊だけではありません。この人も回収した一人です。
伊豆山出身の金子友一さんです。
金子友一さん(56)
Q.金子さんが写真を回収した場所は?
A.「全部土砂で埋まっていた。行方不明者を捜索するのに波打ち際を全部捜索していた中で落ちている物を拾い上げてきた」
金子さんは、伊豆山港を拠点にしている漁師。18年前からこの場所で海老漁などを行っています。発災直後も港にいたという金子さん。この周辺の土地勘は捜索隊よりも自分の方があると思い、発災から2週間、一人で、行方不明者を探し続けました。
漁師 金子友一さん(56):「早く安否不明者を見つけてあげたい。上で見つかる可能性が大だけど、下まで流されている可能性もあるし…。安否確認ができないことには親族の方も、納得しない部分もあるだろうし、俺が親族の立場だったらはっきりしたい」
捜索活動をする中で見つけたのが、港に流れ着いた写真。一枚や二枚だけではありません。
漁師 金子友一さん(56)
「これは回収したアルバム…」
Q.土砂に埋もれていた?
A.「浮いていたり、流れてきたり、埋もれていたり。特に、こういう結婚式とか子どもの頃の写真というとね。思い入れがあるのかなと思う」
金子さんは回収した写真を市に引き渡しました。
Q.金子さんが回収した写真の枚数は?
漁師 金子友一さん(56):「200~300枚あると思います。受け渡しの場ができて喜んでいる人がいるという話を聞いて、手にとって『あぁよかったな』と思う人がいれば幸いかなと思う」
ボランティアの手で写真がきれいに…
金子さんや捜索隊が回収した泥だらけの写真。その写真を少しでもキレイな形で被災者に渡そうと洗浄が行われました。作業する人たちの多くはボランティアです。この日集まったボランティアは15人。7月中旬から始まり、学芸員の指導のもと、洗浄と乾燥を繰り返し行ってきました。写真を見ながらの洗浄はボランティアにとって特別な作業。
ボランティア:「涙が出てきちゃう。見てて。こういう写真を見たらね、本当にもうなんとも言えない。写真によっては流しの所で作業をすると、(写真が)消えてっちゃうでも学芸員の方が『少しでも顔が見えたら取っておいてあげてください』と。あぁ本当だなと思いました」
拾得物が被災者の元へ
ボランティアの思いも、この写真には詰まっています。そしてきのう。拾得物の返却が始まりました。密を避けるため、1日4組のみに制限されています。午前10時。職員が待つ中…
職員 このまま矢印の通りに行ってください
太田滋さんとその妻、かおりさん。息子の成海さんです。家族全員、土石流から逃げきれましたが、自宅は全壊。先月、住居を神奈川県の湯河原に移しました。
被災者 太田滋さん:「何が(家から)無くなっているのかまだ(分からない)
(家が)2軒あって下の家に入れてない状況、何が無くなっているのか分からない状況」
体育館には、持ち主がだれか全く分からない物が置かれていました。例えば、伊豆山神社よりも山側にあったものはこちらに並べるなど、回収された場所ごとに分けられていました。
被災者 太田滋さんと太田かおりさん 「何か見たことがある。うちかもしれないけど…。百科事典ですよ。うちかもしれないけど…、名前も書いてないから分からないですね」
他人のものかもしれないという思いから持ち帰ることはできなかった太田さん。
続いて図書室。ここには、家の中からの回収品など持ち主の特定がしやすい物が集められていました。自宅の中や周辺で見つかった拾得物が目の前に…
被災者 太田滋さんと太田かおりさん
「あった。あった。本当だうちのやつだ。こっちはお婆ちゃんだね、(ボランティアに)キレイにしてもらって。遺影です。(滋さんの)父と母の割と高い所に置いてあったので、2つ無事で帰ってきました。これがあるはずだと思って来たのでよかったです」
「こんな可愛い写真が出てきた2001年12月の日付。実家に遊びに行った時の写真だと思う。まだ小さい頃」
Q.この写真覚えてます?
被災者 太田成海さん:「初めて見た。(当時の記憶)あんまり覚えてない 思い出すきっかけになる」
被災者 太田かおりさん:「重機が好きで乗せてもらった時の写真、懐かしい。こんなこともあったな。亡くなった母。亡くなって3年になる。母によく面倒を見てもらった」
被災者 太田滋さん:「ボランティアの方は…『この人には一枚ずつの思い出がある」と言って、作業してもらうとすごいありがたい、ありがたいです」
買い換えることができない思い出の品。3カ月ぶりに手にした被災者に、これからずっと寄り添うことでしょう。