母を亡くした太田朋晃さんの2年~熱海土石流災害から間もなく2年
太田朋晃さん:
「1年7カ月が過ぎたが、やっと母が帰ってきた。母の供養ができることを嬉しく思う」
太田朋晃さん:
「お帰り、寒かったね。よく頑張ったね。出てきてくれてありがとう」
今年2月、熱海市内で会見を開いた太田朋晃さん(57)。
1月の捜索で母和子さんの骨が
土石流災害では、災害関連死を含めて27人の死亡が確認されていた中、唯一、母の和子さん(当時80歳)だけが行方不明となっていました。
今年1月の捜索で、熱海港の土砂の仮置き場から骨のような物が見つかり、DNA鑑定の結果、和子さんの左前腕の骨と判明。
熱海市は災害死と認定しました。
葬儀を終えると自宅があった場所へ
3月、和子さんの葬儀を終えると、太田さんは遺骨を持って
警戒区域内にある自宅があった場所へ。
太田朋晃さん:
「やっと母を自宅へ連れて帰れて、家族みんなで迎え入れてあげられたことは嬉しく思います。家はないですけど家があった場所に帰ってこれて、本当にお帰りなさい」
発災から2年を前にインタビュー
発災から2年を前に太田さんがインタビューに応じてくれました。
太田朋晃さん:
「これは母から見てひ孫。ひ孫を家に連れて来た時の写真です」
「(子どものころは)いたずらなんかで悪いことをすると父が厳しかったので後でフォローして慰めてくれるような優しい印象の母でした」
太田さんは熱海市伊豆山出身。
就職を機に一度離れましたが、20年以上前に父親が亡くなって以降は和子さんと一緒に暮らすようになりました。
おととしの7月3日、太田さんは朝から仕事に出ていて、
土石流が発生したとき、自宅には妻と次男、そして和子さんがいました。
当時何があったのか、太田さんが語ってくれました。
太田朋晃さん:
「妻は表にいたみたいなんですけど、近所の方から声をかけられて「逃げろ」と。次男と一緒に逃げたと聞いています」
「ものの何秒だったみたいで逃げるのが一生懸命で。土石流が流れてきた後ろを振り向くひまもなく」
「妻は母のところへ行こうとしたらしいんですが、近所の方に「すぐ逃げろ」ということで呼ばれて断念して逃げたみたいです」
和子さんだけ見つからず
住民たちの遺体が次々と発見され、土砂も撤去されていく中、
和子さんはなかなか見つからず…。
発災から1年が経過した後も、警察による捜索は続けられましたが、発見されませんでした。
太田朋晃さん:
「あきらめというかそういう気持ちもありましたね。前の熱海署長からは「絶対発見するから」という言葉をいただいて。できる限りのことはやっていただいて、見つからなかったらしょうがないかなと」
そんな中、今年1月の捜索で仮置き場から人骨のようなものが発見され、その後和子さんの骨と判明しました。
3月3日
3月3日の月命日。
太田さんは発災後、初めて伊豆山で他の被災者たちと黙とうを捧げました。
太田朋晃さん:
「母を入れて28人の犠牲者にやっと手を合わせられたことに感謝している。母の供養もできるし、少しずつ前に進んでいかないといけない」