99歳の母親を背負って逃げた75歳の息子…5カ月後に母との別れ 土石流災害から1年 静岡・熱海市
後藤光雄さん:「私は75歳、母親もほぼ100歳で老々介護です。老々介護で伊豆山の土石流から逃げて、流れてここに来ました」
後藤光雄さんと母のてる子さん。発災当日、後藤さんはてる子さんを背負って避難しました。てる子さんは大正生まれ。あと4カ月で100歳を迎えます。
てる子さん:「もうこれで100年過ぎたんか。1日1日が重なって。100年過ぎたんやなと思いました。うれしい限りです。ありがとうございます」
自宅の前を流れた土石流
後藤さん親子が暮らしていた自宅。土石流はそのすぐ前を流れ下りました。
てる子さん:「あの(7月)3日は恐ろしかったこと、脳裏から離れません。家はちょっと坂より上ですからね。絶壁の上ですから。下を流れるのが見える。でもこれは崩れる。あかんと思いました。息子が安全なところ行って一生懸命運んでくれましたが、まあどちらにしてもアカンと。この年だしね」
後藤光雄さん:「これが僕の家の前です。下が土石流のあった場所です」
発災の9日後、一時帰宅した後藤さんが撮影した自宅周辺。捜索活動が続いていました。
後藤さん:「ここから一気に土石流が上から流れて、地獄の光景でした」
後藤さん:「これが私の家です」
「ここから上にのぼっていきまして、上から下を見てみます。こんな感じです」
発災直後は、市内の学校に避難。その後は、ホテルへ。そして、また、別のホテルへ。避難生活は、2カ月以上続きました。
去年7月、後藤さんは、市内の畑に向かいました。
後藤さん:「クウシンサイが私好きなんですよ。あとモロヘイヤはそんなにですけど、サトイモ、ゴーヤがいつもたくさんなるもんですからね。これからだと思う。芽を摘んでやって。まあ、ちゃちなもんですけどね」
数種類の野菜を育てています。
後藤さん:「青汁にしてこれを。ジューサーの中に入れて、タマネギとかニンジンとかバナナとか一緒に入れて飲むんですけど。ちょっとした家庭菜園。狭いですけどね。楽しみに」
2カ月以上の避難生活後、母親と市営住宅へ
後藤さん親子の部屋は市営住宅の5階。そこからの景色が、てる子さんのお気に入りです。
てる子さん:「山と山との間、そこに家がずっと建ってね。いい景色」
後藤さん:「うちのおばあさんが気に入っているみたいですから。気に入っていればそれでね。こんないいところないって言いますからね。喜んでいますから。だから私は別に問題ないですけど。またどういうこと言い出すかわかりませんけど。ははははは」
後藤さん親子の自宅は直接的な被害はありませんでした。それでも、警戒区域に指定されていて、戻れません。
母親を看取り…
去年12月1日。後藤さんの母、99歳のてる子さんが老衰で、息を引き取りました。
後藤さん:35キロくらい?
葬儀屋:もうちょっとあるかな。
後藤さん:もうちょっとある。
母を背負って難を逃れ、市営住宅に入居して3カ月での看取り。
葬儀屋:今、98歳ですか?
後藤さん:99です。あと1カ月ちょっとで100歳。
「最後はありがとう、ありがとうって何度も言ってね。もう声出ないと思ったんですけど、声出ました。『なんだ、ばあさん声出るんか』って。一生懸命『ありがとうありがとう』って言っていましたね。まあ悪くはなかったと思いますけどね」
母親と別れて半年
てる子さんとの別れから半年。この日も、日課のスムージーづくりです。
後藤さん:「これ1日2回、飲むだけです」
伊豆山を追われ、たどり着いた市営住宅。
後藤さん:「ここ2、3日前に一回夢に出てきましたね。夢なんて大体おかしなもんですから。つじつまが合わない。ちょっと出てきましたね」
後藤さん:「あのときのことをやはり、まざまざとあの時のことは思い出しますよね。でもここに来てね。皆さんに本当に助けていただきまして、喜んでいます。うちの母親も喜んでいました。避難所でみんなと一緒に2カ月以上ホテルにいて。そして、動けなかったんですけどね。車いすで、あっちこっち見せていただきましてね。ホテルの中とか、こちらに来ても」
後藤さんは今年、小型船の免許を取りました。
後藤さん:「この年で乗るとは思わなかったですね。年は関係ないですね。色んなことをやってみれば関係ないですね。気持ちだけで」
後藤さん:「本当、あっという間に過ぎてしまいましたね。いろいろありましたけど。またこれから色々考えて、それぞれの方がね、私もそうですが、生きていかないといけない」