【袴田事件】姉と弟57年間の闘い…ついに「再審」の扉を開く ひで子さん「最後のひと踏ん張り」
13日…東京高裁「再審開始決定」
袴田ひで子さん(90)(13日):「この日が来るのを、本当に心待ちにしておりました。再審開始になりました。本当にうれしいです」
事件から57年の時を経た今月13日。ようやく開いた開かずの扉。
袴田ひで子さん(21日):「巖のことは私の運命だと思っている」
袴田事件の57年は、袴田巖さんの姉・ひで子さんの闘いでもありました。
事件発生は57年前
●13日
記者:きょうはどんな日になるといい?
袴田ひで子さん:「再審開始になることを願っている。ありがとうございます」
1966年、旧清水市のみそ会社の専務一家4人が殺害された袴田事件。警察はみそ会社の住み込み従業員で、元プロボクサーだった当時30歳の袴田巖さんを逮捕。袴田さんは裁判で一貫して無罪を主張しましたが、1980年、死刑が確定しました。
それから42年あまり。この日は東京高裁が巖さんの裁判のやり直しを行うかどうか判断を出す日です。
袴田ひで子さん:「そんな私はドキドキすることはない。こうなっていれば」
Q.お守りとかあったりする?
A.「そんなものは全然ない。もともと最初から神も仏もないということでやっていたから。だから縁起担ぐということはしない」
Q.自分の力で?
A.「そんな生やさしいもんじゃない」
袴田家6人きょうだいの5番目だったひで子さん。長年の拘束で拘禁症となった3歳年下の巖さんを信じ、57年間、弟の無罪を訴えてきました。巖さんが東京拘置所にいたときは、毎月のように面会にいったそうです。
袴田ひで子さん:「(昔は)私たちはまだ見捨てていないよ、と巌に知らせにいかなきゃと思って。そういうつもりでいったね。面会できても、できなくても行った。それしか方法なかった。(釈放された)今は、悲しいってことはない。すべからく笑顔で向かっていく」
この日、東京駅に着くと、支援者らとともに会場へ。
伊地健治アナウンサー(東京高裁 13日):「ちょうどいま、袴田巌さんの姉ひで子さんが東京高裁に入るところです」
駆け付けた報道陣や支援者で道路が埋め尽くされる中、ついに運命の瞬間が…。
伊地健治アナウンサー(東京高裁 13日):「再審開始!再審です!東京高裁は袴田事件の再審開始を認めました」
掲げられた「再審開始」。裁判のやり直しが認められました。
袴田巌さんの姉 ひで子さん(13日):「皆様ありがとうございます。再審開始になりました。本当にうれしいです。もう57年戦ってきましたからね」
弟が待つ浜松市へ
この日の夜には弁護団や支援者とささやかな祝勝会。
袴田ひで子さん:「うれしい1日ですよ。ありがとう」
ひで子さんもオレンジジュースで祝杯しました。
翌日の国会での報告会でも、多くの人に祝いの言葉をかけられていたひで子さん。いよいよ、巖さんの待つ浜松へ。
市民:「おめでとうございました」
袴田ひで子さん:「ありがとう」
Q.この2日間はどんな2日間だった?
A.「忙しかったね、やたらと。せわしなくて。特別な2日間だよ。言うなれば」
巌さんの待つ自宅に戻ったひで子さん、巌さんに語りかけます。
袴田ひで子さん:「うんと良いことあったの。当たり前だけど、もう心配いらんよ。なんにも心配いらん」
弁護団や支援者は検察に特別抗告を断念する要請書を提出するなど、動きは各方面に広がりをみせました。そして、特別抗告が期限となった20日。
支援者「検察ね、特別抗告断念するって」
袴田ひで子さん「おー!」
支援者「やったじゃん」
袴田ひで子さん「本当!?」
袴田ひで子さん:「今ね、ニュースが入ってね。検察が特別抗告を断念したって。だから完全に無罪。完全に勝った」
袴田ひで子さん:「もう、きのうまでの疲れがふっとんじゃった。57年間、60年近くなりましたけどね、こんなにうれしいことはありません。57年もふっとびました」
姉弟はお寿司でお祝い
夕食は、巖さんが食べたいといったお寿司で、支援者と3人でお祝いをしました。そして、21日の再審開始報告会では、巖さんもマイクを持ちました。
袴田巌さん(87):「私が袴田巌でございます。がんばろうという闘いでございますので、闘いには協力が必要です。みんなの協力があって勝ち抜ける。よろしくお願いします」
(会場から大きな拍手)
ようやく確定した再審開始に、みんな笑顔です。
日本プロボクシング協会袴田巌支援委員会 新田渉世委員長:「本当は我々がひで子さんを勇気づけないといけないのに、ひで子さんに勇気づけられて(笑)。ひで子さんとみんなの力が結集してこの結果に結びついたと実感する」
弁護団 小川秀世弁護士:「ひで子さんは全然へこたれないし、何があっても意に介さないマイナスのことに関しては。そういう姿勢は一貫してかわらない」
袴田ひで子さん:「再審開始になったからと言って、裁判が終わったわけではありませんからね。これからですよ。もう頑張っていくしかない。最後のひと踏ん張り」