死刑囚・袴田巌さんを支え続けてきた姉ひで子さん 東京高裁の決定を前に今思うこと
いわゆる袴田事件は3月裁判のやり直しが行われるかどうかが決まります。死刑囚・袴田巌さんの姉・ひで子さんが今思うこととは。
誕生日 花束贈呈:
「ひで子さん、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
死刑が確定している袴田巌さん(86)の姉・ひで子さん。
8日、90歳の誕生日を迎えました。
記者:
「きょうは巌さんから何かもらいましたか?」
ひで子さん:
「巌がけさ、このセーターをくれたんですよ。それで、急遽、記者会見のために着
替えましたの」
ひで子さん:
「お~。かわいらしい。あ~ありがとう、ありがとう!」
プレゼントされたピンクのセーター、袴田さんが外出先で買ったものです。
●ON記者会見 ひで子さん
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「きょう、ただいまもらったばかりですが、しばらく続けて着たいと思っています(笑)」
記者「わかりました、ありがとうございます」まで
【事件】
6人きょうだいの三女だったひで子さん。
幼少期からおとなしい性格だった末っ子の袴田さんをいつも引っ張ってきました。
事件はひで子さんが33歳のときに発生。
旧清水市で一家4人が殺害された強盗殺人事件で、袴田巌さんが逮捕・起訴され
裁判で無実を訴えました。
この頃…。
ひで子さん:
「もう黙って、世間ではみんな犯人だと思っているなら、それを違うとか弁解するってことはしなかった。しなかったっていうかできなかった。そういう世襲っていうか世の中の雰囲気があったの」
買い物には夜に行き、近所の人とはあいさつ程度。
事件発生から2年後には死刑判決が確定した矢先、これまで熱心に袴田さんを応援してきた母のともさんが他界。
ひで子さんは袴田さんの無罪を信じて訴える覚悟を決めました。
ひで子さん:
「もしも誰かが巌のことで変なこと言ったら『あんた見ていたのか』って言ってやるつもりで、腹を決めて。それで生きていた。私は」
2008年、最高裁で再審請求が棄却されると、ひで子さんは長年の拘置所生活で
精神を病んでいた袴田さんに代わって第二次再審請求を申し立て。
無罪を訴えて報道陣の前にも立ち、再審開始へと引っ張ってきました。
事件発生から45年の会見 ひで子さん:(2011年6月30日/当時78歳)
「本人は大変だと思う。45年もあんな所にいれば大変。外にいる人間にとっては、
私は長いと感じたことがない一生懸命、みんなが応援してくれるので、がんばらねばと・・・」
3年後、袴田さんは死刑囚のまま48年ぶりに釈放ー。
ふるさと・浜松市で始まった弟との2人暮らしでしたが、順風満帆には行かない現実…。
2019年、裁判のやり直しを認めた静岡地裁の決定は東京高裁によって取り消されました。
ひで子さん:(2019年6月11日/当時86歳)
「身柄は拘束されない、と書いてあるので一安心です。弁護士さんに頼るしかない状況ですが、がんばって参ります」
その後、審理は最高裁から東京高裁に差し戻され、亡き母のために、親孝行のつもりで始めた第二次再審請求審は現在、東京高裁の決定を待っています。
【誕生日の翌日と振り返り】
誕生日の翌日…。
ピンクのセーターを着て体操するひで子さん
ひで子さん:
「こういうふうに、足をこうしてグルグル回す。これ100回ずつ。こっちも100回。ね。」
毎朝30分の体操を40年以上続けています。
ひで子さん:
「テレビでやるとこれはいいと思って、それで取り入れる。ただ自分でアレンジしている。ふふふ(笑)」
ひで子さんの1日は自宅のパソコンで、趣味の麻雀をしたり、昼寝をしたり…。
巌さん:
「5000円にしてちょうだい」
ひで子さん:
「5000円?」
ひで子さん:
「巌はね、48年間3畳1間の狭いところで言うに言えない苦労している。それを
思えばなんとでもない。いつもそう思う。ご飯食べているときもね。それこそね、一生懸命ご飯食べるでしょ(笑)やっぱり、48年間を思えばね、今の生活は本当に極楽ですよ」
再審請求の行方が局面を迎える今、姉が思うことは…。
ひで子さん:
「大病もさせないで長生きさせたいと思っている。とにかく健康は問題といえば血糖値くらいなもんだもんね。だけどまあまあ元気でいるからね。ともかく長生きさせて48年間を取り戻してもらってね、のんきに暮らしてもらいたいと思う」
東京高裁の決定まで残り1カ月足らずです。