「戦後80年~体験をつなぐ~」浜松空襲の体験を絵にした92歳の画家 薄れる記憶を消さないために

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シリーズでお送りしている「戦後80年~体験をつなぐ~」。今回は、浜松空襲の体験を絵にした92歳の画家を取材しました。
その筆に込められた思いとは。

栗田麻理アナウンサー
「80年前の浜松空襲で人々が身を守るために入った防空壕が今も残っています。80年前この場所で実際に経験した記憶を絵に残す92歳の画家がいます」

 浜松市出身、中村宏さん 92歳。

 日本大学で美術を学び、およそ75年間今も画家として絵を描き続けています。

中村宏さん
「懐かしいとはちがうんだよね、恐怖の塊だったから。自分の絵が未来永劫(えいごう)残って、そういう時代の人にどういう影響が与えられるか」

1945年浜松空襲

浜松空襲があった1945年。

当時12歳の中村さんは焼夷弾に怯える日々を過ごしていました。

その記憶を作品にしたのが「防空壕 1945(いちきゅうよんご)」です。

中村宏さん
「本当の防空壕の風景です。半分住んでいた人もいましたね。布団を持ち込んで。これ全部自分たちで掘るんですよ。夜になるとぶんぶん(敵機が)飛んできて適当に焼夷弾をばらまいて」

 100機ものB29が襲来した浜松空襲。6万5千発もの焼夷弾が1万5千戸あまりの家屋を焼き尽くしました。

 およそ100機のB29が上空から襲撃したのです。

中村宏さん
「ぱっと、途中で火を噴きながらゆっくり落ちてきた気がするね。ただ火だけが落ちてくる。それを無数に落としていくものだから一軒や二軒が燃えるわけじゃないから。もう逃げ場がないよね、爆弾なんかより、よけい残忍な殺し方だね」

Q手は?

「これは防空壕に避難している人の象徴でしょうね。耳のここにでっぱりがあるでしょう。ここを親指で穴をふさぐんですよ。ただ穴ふさぐんじゃなくてこのでっぱりを突っ込むの。穴に。これとこれで目をやって。口か鼻を抑えていたような気がする」

 必死に命を守ろうとする姿を、この手が物語っています。

「防空壕 1945(いちきゅうよんご)」
「防空壕 1945(いちきゅうよんご)」

戦争の記憶

 中村さんが見た”1945年”。

 この作品もそのひとつ。

 現在の浜松市浜名区細江町にある親戚の家に疎開し、鉄道で通学していたときの記憶です。

中村宏さん
「ラッキョウ鉄道といって、これラッキョウにしていないけど、煙突がラッキョウみたいに長いのよ。」

Q実は遠州鉄道から画像をお借りして…

「わあああ、よくあったね。これは走っていないでしょ?ああ、懐かしい。これに乗って通学していましたよ」

 通学中の中村さんの前に、突如として現れた米軍の戦闘機。

 動いている鉄道が低空を飛行して射撃する「機銃掃射」の標的になってしまったのです。

中村宏さん
「乗客や従業員が一斉に外に逃げますよね。逃げた先でも逃げ場がないからわーっとみんな伏せをしている。こうやって「去ってくれ~」みたいな。(自分は)電車にのっていて、逃げろっていわれてどこにどう逃げたらいいかわからなくて、うろうろしているうちにどこかいっちゃって。」

 中村さんの作品“戦争の記憶”は9点。

 いずれも90歳を目前にした2年前から画家の集大成として描いたものです。

 

空襲の記憶-艦載機
空襲の記憶-艦載機

消える絵と、薄れる記憶

 7月、それらの作品が、展示会場で来館者の足を止めました。

来館者 都内60代男性
「臨場感や、その生々しいですよね。それは経験者じゃないと書けない。いま生きているひともいるけど、その人たちのメッセージはすごく強烈。そういう人の経験を継承していかないと」

石内みやこさん(同じ展覧会の出展者)
「黒と赤。その感じがすごい伝わってきて現実感が非常にある。80年経っても記憶が薄れないということのひとつの現れじゃないかな」

中村宏さん
「私がどういう風に逃げたとか、どういう風に感じたとか、そういうディティールのはわかっていたし。僕の絵はそういうところから入っていくの。あまり概念的な美とはなにかとか興味ない。絵というのは可哀そうな存在。哀れで、ちょっとやめちゃえば消えちゃう。だから変なあまのじゃくで、だからやる。」

 薄れる記憶を消さないために。

 きょうも中村さんは80年前に見た光景をキャンバスに映し出していきます。

艦砲射撃
艦砲射撃