甲子園「初出場初勝利」 浜松開誠館の強さのヒミツは…佐野監督「指導方針を180度変えた」 浜松市
バスケットボール専用アリーナにボルダリングのスペースも
伊地健治アナウンサー:「浜松市の中心部のほど近く、住宅街の中に浜松開誠館があります。きょうはこの場所で甲子園から帰ってきた野球部のみなさんと会える楽しみです」
中高一貫教育を行っている浜松開誠館。中学では、陸上部、サッカー部、バスケットボール部がこの夏、全国大会の切符を手にしました。バスケットボールの専用アリーナがあるなど充実した施設で生徒をサポート。中にはボルダリングができるスペースもあるんです。
17日に行われたのは、理事長や校長への報告会。激闘を終えたばかりの生徒たちは今、どんな思いでいるのでしょうか?
浜松開誠館 吉松礼翔主将(3年):「10対0で楽しかった。この仲間と甲子園の舞台で野球ができたので悔いはない」
自信を持って堂々とマウンドに立っていたのはプロ注目の右腕3年生の近藤愛斗選手。初戦では甲子園初勝利に貢献しました。
伊地アナ:「甲子園はどんな場所?」
浜松開誠館 近藤愛斗選手(3年):「最初は緊張したけどマウンドに立つごとにすごく楽しくて、やってて気持ちが良かった」
伊地アナ:「甲子園のマウンドで感じたことは?」
近藤選手:「雰囲気がすごく違う、圧をかけられるような、色々な人から」
Q.そんなにプレッシャーがある?
近藤選手:「ありました」
チームのムードメーカー、山根楓斗選手。豪快にバットをフルスイングする姿が印象的でした。
浜松開誠館 山根楓斗選手(3年):「とても楽しかったです。悔いは残らなかった。緊張するより楽しんだ方がいい」
メンバーの中には2年生もいます。加藤蔵乃介選手。甲子園の経験をいかして、新チームの主将に選ばれたそうです。
伊地アナ:「先輩から教えてもらったことは?」
浜松開誠館 加藤蔵乃介選手(2年):「自分たちでやっていくこと。コーチとかに頼らず、自分たちでチームを作りあげていく」
去年の夏は静岡大会で初戦敗退
去年の夏の静岡大会では初戦で敗退した浜松開誠館。そこからどのようにして甲子園への切符を手にしたのでしょうか!?
2017年に就任した佐野心監督。かつては、当時の常葉菊川高校の部長としてセンバツ優勝。監督として夏の甲子園準優勝に導きました。公民を教える教師でもあります。
伊地アナ:「甲子園の2回戦から3日経った今の気持ちは?」
浜松開誠館 佐野心監督(56):「カボチャの馬車に戻っちゃった、夢から覚めて。彼らの憧れの場所、私にとっても憧れの聖地。憧れの場所で素晴らしいゲームができた。2試合とも自負があるので、「夢が覚めないでくれ」と思っていた」
伊地アナ:「何色の馬車でした?」
佐野監督:「真っ赤な開誠館カラー」
「指導方針を180度変えた」
実は佐野監督。浜松開誠館に来てから指導方針を180度変えたと言います。その指導法とは?
浜松開誠館 佐野心監督:「学校の方針『自主性を重んじる』。これに乗っかった指導を野球部もするべき。私の指導方針を全く変えました」
丸刈りではない球児たちのヘアスタイルにSNSなどで話題になりましたが、そこにも学校の指導方針が…
校内に貼られていた学校の教育方針を見て驚きました。そこには『教えない学校』と書かれています。生徒たちが自ら考え動くことを第一としているんです。それを学校や先生がサポート。
甲子園でも、選手たちが自ら話し合う中、監督が口をつぐむ場面もあったと言います。
浜松開誠館 佐野心監督:「何でも言いたくなる。言いたくなるのをこらえて」
中でも、チームの勝利のために自分の意見をはっきり伝えるのは、キャッチャーの新妻恭介選手。
浜松開誠館 佐野心監督:「僕が(ピッチャーを)変えたいので新妻に代えていいか聞くと『ダメです』。こっちが一生懸命我慢して「わかった」と言った」
週休2日制。筋力トレーニングに力
それでも、新チームを立ち上げた1年前は、うまくコミュニケーションがとれていなかったと言います。
浜松開誠館 新妻恭介選手(3年):「(チームが)1試合ごとに成長していく。この夏ですごく成長したと感じた。会話がなかなかできてなかった、コミュニケーションが取れていなかったけど、試合をするにつれて『こうした方が良いよね』とか、試合の中で指導者とも話し合えるようになった。練習メニューも、自分たちで決めた。学校の教えが野球部まで浸透している」
選手と監督の信頼関係がチームを強くしました。そのほかにも、強豪校では見られない練習方法が。休みを十分にとるため週休2日制にしたり、WBCの選手達のように筋力トレーニングに力を入れました。
浜松開誠館 佐野心監督:「トレーニングをした体を休ませないと、野球のパフォーマンスに繋がらない。トレーニングしてトレーニングして休む、トレーニングしてトレーニングして休む、となると週休2日制になる。でも、これ楽じゃない、めちゃくちゃしんどい。自分の目の届くところで、選手たちがどんなことをしているのか、わかっている方が安心。トレーニングジム行ってあいつやってるのかな?とか」
校歌の作詞作曲は小椋佳さん
独自の指導法を貫いた浜松開誠館はその校歌も話題に。
校歌
「ここ浜松の 恵み豊かな 光を受けて 通う開誠館」
作詞作曲が小椋佳さん。シンガーソングライターと銀行員の二刀流だった小椋佳さんは浜松に縁があり、この校歌をつくりました。
浜松開誠館広報 伊藤信博さん:「佐野監督も出陣式で、『校歌を堂々と歌ってくる』と力強く言った。達成してくれた」
1200人の大応援団も1つになって勝ち取った夏1勝。開誠館自慢の校歌が甲子園に響き渡りました。しかし、2回戦はサヨナラ負け。話題になった校歌を、もう1度歌うことはできませんでした。
佐野監督「初出場のチームでは100点」
伊地アナ:これはなんですか?
浜松開誠館 新妻恭介選手(3年):「甲子園の土です」
伊地アナ:「僕みました。新妻くんが甲子園の土を泣きながら入れているところ」
主力の1人として、1年間チームをまとめてきた新妻選手。
浜松開誠館 新妻恭介選手(3年):「悔しい思いがすごくあったけど、「楽しかったな」と思いながら集めた。あの大観衆の中で野球ができることはなかなかない」
その様子を見ていた佐野監督は、穏やかな表情をしていました。
浜松開誠館 佐野心監督:「試合中も含めて、あんなに幸せな時間はない。本当に良かったな、こんな大観衆の中ですごい良いゲームができた。あの負け方は最高じゃないのかな。初出場のチームでは100点あげてもいい」
3年生は引退
3年生はこれで引退。この個性的なユニフォームともお別れです。
浜松開誠館 深谷哲平選手(3年):「あれだけ人がいる中で野球をすることはできないと思う。『たくさんの人の前に立つ』という経験は、これから繋がっていく。いずれ、社会人になって会社に就職したときに人に伝えるプレゼンとかに生きてくる」
近藤選手「未来の設計図」は「30歳でメジャーリーグ挑戦!」
気になるのはみなさんの今後について。報告会でこんな話題が‥
浜松開誠館 髙橋千広校長:「みんな学びの地図を持っていますか?」
学びの地図とは、自分が目指す未来の設計図。ちょっと覗かせてもらうと‥、おぉ!会社を作ると書いてありますよ。
こちらの生徒さんは、高校を卒業したあと消防学校に。立派な消防士になってください!
エースとしてチームを引っ張った近藤選手は、「26歳で日本プロ野球のエースになり30歳でメジャーリーグに挑戦!」。応援してますよ!
3年生のみなさん。甲子園の経験を自信に変えて、次のステージでも大いに躍動してくれそうでした。
新チーム始動 目標は「高校野球の頂点」
報告会が終わった後、学校から離れたところにある野球部のグラウンドに向かうと、2年生と1年生による新チームが始動していました。生徒たちは学校からグラウンドまで自転車で移動。40分もかかるそうです。
目指すのは高校野球の頂点に…。先輩たちが作り上げた自分たちで考える野球が、浜松開誠館の伝統となって後輩達に受け継がれていくことでしょう。