聖隷クリストファーを初優勝に導いた校長の上村監督「いつかこの子らを甲子園に連れて行きたい」
聖隷クリストファーが、浜松開誠館を6-5で破り、今夏の静岡県NO・1校に輝いた。甲子園大会は中止となったが、浜松商、掛川西で春夏計8度甲子園出場に導いた上村敏正監督(63)が、就任4年で同校を夏に初めて優勝させた。
7回2死一二塁からの初球、エース城西裕太(3年)は、外角に直球を投じた。本人いわく、「一番、思いを込められるボール」。浜松開誠館の打者も負けじと強振したが、打球は左翼手のグラブに収まった。瞬間、城西は右手を突き上げ、上村監督は手をたたいて目を細めた。
甲子園大会に通じない大会での優勝…。それでも、選手たちは歓喜し、城西は目に涙を浮かべて言った。「上村監督のおかげです。監督でなければ、ここまで来られなかったと思います」。入学から2年半、言われてきたことは「ここぞという時に力を出せる選手になれ」だった。準決勝、決勝を同じ日に戦う変則ダブルヘッダーで、城西は決勝の3回から登板。同回に3連打され2点を失い、6回、7回とさらに追い上げられたが、最後は気迫の投球で逃げ切った。
2017年秋から聖隷クリストファーを率いる上村監督は、静岡県内では「名将」として知られる。母校の浜松商で7度、掛川西で1度、甲子園出場を果たしている。その後、監督業から離れていたが、7年半ぶりに現場復帰し、再びノックバットを握るようになった。「離れている間に病気もして、『最後は高校野球をやって終わりたい』と思っていたから、ありがたい話でした」。
就任当初はコーチもおらず、苦労もあったというが、選手たちには信念を伝え続けた。「野球だけできてはダメ。勉強もして、ゴミを拾って、グラウンドの石を拾う。そういう気づきを重ねてこそ、試合の時に相手がやろうとすることを感じたりできるんだ」。
そんな名将は、今春から同校の校長も務め、連日、新型コロナウイルス感染対策の陣頭指揮を執っている。自粛期間中には休校の判断もしたが、「何もせず2週間で落ちた筋肉は、戻すのに半年かかる」として、生徒たちにウォーキングを奨励した。校庭使用を許可し、野球部員もランニングなどの自主トレを重ねていた。前日1日の準々決勝から連投になった城西も「あの期間も体を動かせたことが、大きかったと思います。ありがたかったです」と感謝した。
そして、選手たちは悲願を達成した。だが、上村監督には複雑な思いもある。「やっぱり、甲子園大会がないことですね。本当ならここから『さあ、甲子園だ』となるけど、現チームはこれで解散ですからね…。まあ、今は無理かもしれないけど、いつからこの子たちを甲子園球場を連れて行きたい。そう思っています」。その一方で、「静岡県で優勝した事実は消えることはない。それはきっと、彼らにとって人生の宝物になります」と言葉をかみしめた。自身にとっても、初めての「甲子園大会に行けない優勝」。取材陣からその感想を問われると、「これはこれで、歴史に名前が残りますね」と言い、穏やかな目で微笑んだ。【柳田通斉】
◆上村敏正(うえむら・としまさ)1957年5月25日、二俣町(現浜松市天竜区)生まれ。浜松商3年で夏の甲子園大会出場。早大卒業後、御殿場の監督を経て84年から母校を13年間率い、甲子園に7度出場。09年に掛川西高監督としてセンバツ出場。17年春から聖隷クリストファーの副校長に就任し、同年の秋から同校野球部監督。