AI=人工知能の語り部も 戦後77年…後世につなぐ記憶 遺族会は30年で8分の1に…高校生が受け継ぐ『思い』 浜松市

 戦争の経験や記憶を後世につなぐために、遺族らの強い思いを受け継ごうと奮闘する取り組みを取材しました。

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AI=人工知能の語り部も 戦後77年…後世につなぐ記憶 遺族会は30年で8分の1に…高校生が受け継ぐ『思い』 浜松市

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市立高 内山さん:「戦争の記憶を次の世代に伝える活動に参加してみませんか」

 受け継ぐ若い意思…。

AIの野田さん:「あんな姿をしていてもお母さんであってくれた方がよかったなと」

 伝える方法も多様化。

遺族会 竹内さん:「『死んでも遺族会』って」

 風化させない覚悟ー。77回目の終戦の日。

30年で会員は8分の1に…岐路に立つ遺族会 高校生に伝える思い

 8月上旬、浜松市役所に飾られたパネル。

画像: 30年で会員は8分の1に…岐路に立つ遺族会 高校生に伝える思い

浜松市遺族会 大石会長(高校生の内山さんに語る)
「これが浜松の小学校が陸軍の爆撃基地、爆撃の発祥の地なんですよ、浜松は」

 浜松市遺族会の会長・大石功さん、77歳。

遺族会 大石会長:「苦しみ、悲しみ、悔しさとかっていうものを、味わった者しかわからない体験を、次の世代に必ず伝えていかなきゃならない。これがやはり戦没者、遺族の永遠の名代だとわたしは思っています」

 遺族会は今、岐路に立たされています。30年前、5000人以上いた会員は現在672人。他の市や町では解散したところもあり、県内に74あった遺族会も今は44に減りました。

 戦争の記憶を高校生に伝えます。

浜松市立高校放送部の内山朋香さん、16歳。

内山朋香さん:「自分の興味のあることのアナウンス文を作るということで、戦争っていうか、少しずつ薄れつつある記憶というか、そのことを次の世代につなげて、伝えていかなきゃいけないと思っているので、それを伝えられる文章を作りたいと思っています」

遺族の思いを受け継ぐ…

 夏休みの部室。

 見たこと、聞いたことを原稿にします。

内山さん(アナウンス読み)
「戦争の激しさが鮮明に残された写真と、文章で語られた戦争の記憶が約40枚のパネルになり、浜松市役所で展示されました。浜松遺族会会長の大石さんは『戦争を知らない人が増えている。だから、このような展示を見てもらってより多くの人に知ってほしい』と話しています。みなさんも戦争の記憶を次の世代に伝える活動に参加してみませんか」

内山さん:「自分たちで、なかなか自分から率先して知りにいくっていう機会がないと思うので、こういうちょっとした機会を通して知ってもらえればなと思って、今回書かせてもらいました」

 受け継ぐ若い意思…。この原稿で、放送部の新人コンテストに挑みます。

AI=人工知能の語り部

 記憶の継承方法は他にも…。浜松市に本社を置く映像ソフトを開発する企業。AI=人工知能を使って語り部を作りました。

AI 野田多満子さん:「飛行機のおなかのあたりからバンバンバンって、なんかごみを吐き出すように、たぶん爆弾だと思うんですけど、吐き出すんですよね」

 モデルとなったのは浜松市遺族会の野田多満子さん、84歳。7歳のとき
浜松空襲で母親を亡くしました。

画像: AI=人工知能の語り部

AI 野田多満子さん:「1人、女の人が、子どもの名前を泣き叫びながら、もう転んだり立ち上がったり、はいずるようにして半狂乱ですよね、私はその姿をみて『お母ちゃんがあんなになって…。あれじゃあお母さんきていらない』みたいな感覚だったんですけども、でも、実際、あとからみればあんな姿をしていてもお母さんであってくれた方がよかったなと思うことがありました」

 AI語り部、一方通行ではありません。

記者:「若い人に伝えたいことを教えてください」

AI 野田多満子さん:「あんな戦争は2度と起きてほしくない。これから生きる人たちには思いやりをもって、命を無駄にせず、大切にしてほしいと思います」

シルバコンパス 安田晴彦社長:「そこ(語り部)に携わっている方の熱意というのが、体験者の方の高齢化というところで、いかに残そうかというところで、少しみなさん心配されていて不安に思われていたというところがございましたので、今までの語り部の継承活動が無駄にならないようにしっかりと話し合いをしながら伝えて新しい継承の手段として残していきたいと考えています」

戦後77年、記憶をつなぐ

浜松市遺族会の幹部メンバー4人。

画像: 戦後77年、記憶をつなぐ

(遺族会やり取り)
竹内さん:「『死んでも遺族会』って、もう本当に80代になってきているんですよね、遺族が。そのうちいなくなる、いなくなるからいなくなる前になんか言うなら、死んでもやらないかんということしかないじゃないかなと思って、大石さんに冗談で言ったんですけどね(笑)」

他3人:笑い

 「『もう死んでもやるだぞ』って(笑)。大石さんがなかなかしっかりやってくれているんですけどね。まあ次がおらんもんですからね」

 「死んでも続ける」という思いの源は戦没者の遺族として味わった経験です。

伊藤信吾さん
「公扶をもらうときに箱をもらったんですけども、それをもらって歩いて帰るときにそこの下り坂で(母が)泣いていました。(伊藤さん涙)すみません」

大石さん
「小石もないし紙一枚だもん。僕のとおかみさんは骨壺いっぱいなんですよね。ほとんどみなさん紙1枚なんですよ」

竹内さん
「おやじのあたたかさとか、おやじの声とか、そういうものを全然知らないっていうのは、やっぱりこのメンバーみんなそうですけど、まあ本当辛いですね。おふくろのことはよくわかっているんですけど、おやじのことは一切、まだ4歳ですので、記憶にないですね。これは辛いですよ」

 77回目の終戦の日。

大石さん
「遺族にとっては節目もなくて、もうずっと遺族は遺族ですよね…永久に。77年経ったからどうって、ああ、こんな経ったのかというような感じじゃないですかね」

竹内さん
「戦はしちゃならない。どんなことがあってもしちゃならない。だからウクライナみたいにロシアが手出したでしょ、結局ね。つらい思いをするのは女の人と子供なんだよね」

伊藤さん
「やっぱりああいうことは二度と起こしてはならないと、節目であってもなくてもですね。終戦の日になると、まあつくづくそう思いますね」

 戦後77年。記憶をつなぐために…。

大石さん
「僕らがやってきたことが、こうだからこうやりなさいじゃなくて、今の新しいこと、フォトグラムとかメタバースとか、そういうの得意でしょ、若い人たちは。だから、それをやってほしいなと思っているんですよ。いずれにしても持続可能は継承できる団体にしていきます。解散はしない。浜松は。うん、次につなげる」