「慰霊鎮魂をせず今の平和はあり得ない」 太平洋戦争開戦から80年 静岡浅間神社で慰霊祭
静岡浅間神社で慰霊祭
「黙とう~」
正午、静岡市葵区の浅間神社で行われた慰霊祭。遺族や関係者20人が参加し祈りを捧げました。
父親を失った
松崎洋祐さん(77):「父親は無念な思いで、戦死をしたと思います。この310万人。またその背景には私のような遺族もたくさんいる」
きょうは真珠湾攻撃から80年の節目
きょう12月8日は太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃から80年の節目。
静岡空襲を経験した
菅野寛也さん(88):「この日は大変な歴史な日でございます。」
菅野さん:「お若い方は12月8日、ご存知ない方もいらしゃっるかもしれませんが、日本だけで310万の方が亡くなっています。」
菅野さんが手にしているのは、アメリカ軍の戦闘機B29の搭乗員が持っていた水筒。菅野さんらはこの水筒を使って太平洋戦争で犠牲になった日本人310万人の鎮魂と世界平和を祈り、境内に植えられた日米友好を願う「ハナミズキ」に水をかけました。
静岡空襲で1952人が犠牲に
太平洋戦争開戦の4年後1945年6月20日、当時11歳の菅野さんは安倍川の近くに家族6人で住んでいました。
菅野さん:「あの静岡の上空。いつも前毎晩のようにあのB29が通るんですよ。その度に空襲警報になるんだけども、そろそろ寝ようかと思う12時。そうしたらね、なんかいきなり爆音がして。で当時は安倍川の近くにまあ住んでたんですが。いきなりドカドカとこうなんか、爆撃されたような感じだったんですね」
1952人が犠牲となった静岡空襲、菅野さんは一面火の海の中、安倍川の河川敷に逃げ込みました。
菅野さん:「安倍川の今の静岡商業のグランドのすぐ近くだろうと思うけど、工事用の大きい土管があったんです。コンクリートのねで、そこだったらまあ。ええ、あの安全だろうと。土管の中で一晩明かしました」
「慰霊鎮魂をせず今の平和はあり得ない…」
今でも鮮明に思い出す当時の記憶。
菅野さん:「歴史にifは禁物だというが、もしも真珠湾空襲を食い止めることが出来ていたら、太平洋戦争は避けられたのではないか。そうすれば静岡空襲もなかったんじゃないか」
終戦後、軍医だった祖父から菅野さんがかけられた言葉。「死んでしまえば敵味方関係ない」。
菅野さんは1972年12月8日に慰霊祭を始めました。
菅野さん:「やっぱりこの慰霊祭の雰囲気っていうものがね。これが大事なんだなと。だから慰霊鎮魂せずに平和はありえないと。私の今の信念」
さらに菅野さんは20年前からハワイを訪問し、真珠湾の慰霊碑でも祈りをささげています。
菅野さん:「この慰霊祭が世界平和の第一歩になってほしいと、私の体が続く限りはやりたいなと」