【シリーズ終戦】ヒロシマから75年 紙芝居でつなぐ「あの日の記憶」
多くの命を奪った戦争、広島市に原爆が落とされて75年です。5歳で被爆し、今も後遺症と向き合いながら伝承活動を続ける男性がいます。活動の原動力は、ただ一つです。
5歳の時に広島で被爆
大和忠雄さん(80):「75年ですからねえ…。広島に帰れば思い出すんですよ」
浜松市に住む大和忠雄さん(80)。5歳の時、広島市内で被爆しました。
静岡県で唯一参列
新型コロナの影響で、今年、県内から参列できたのは、ただひとり。毎年5万人が参列する式典は、800人ほどに制限されました。 午前8時15分、黙とう。
1945年8月6日、午前8時15分。広島の街は一瞬で破壊され、14万人もの命が奪われました。
「午前8時15分。目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。人間が人間の姿を失い、無残に焼け死んでいく。血に染まった無残な光景の広島を原子爆弾は作ったのです」
大和さんは来られなかった仲間の分も、祈りを捧げます。
あの日の記憶 野球をした公園は遺体で埋め尽くされた
この日、5年ぶりに向かったのはかつて自宅があった場所。爆心地からは約3.5キロです。
大和さん:「妹が爆風でガラスが割れて頭に突き刺さった」
毎日、野球をして遊んだ公園は、遺体で埋め尽くされていました。
大和さん:「こっち側だったね。遺体をずらっとここに並べて。瓦礫もいくらでもあるので、井形に組んで、そこに遺体を投げて入れていた」
75年間は草木が生えないといわれたが…
目を覆いたくなるような光景…。遺体を焼く匂いは、今も忘れることはできません。 「75年間は草木も生えぬ」と言われた広島。しかし、今街には草木があふれ、公園には子どもたちの笑い声が響いています。
「いいよねえ。小さい子の声が聞こえるんだもんね…」。大和さんがポツリとつぶやきました。
「再び被爆者は作らない」
今なお後遺症に苦しむ被爆者。大和さんも13年前、胃がんがみつかりました。 大和さん:「再び被爆者を作らない。そういう使命感。あと10年は何とかなると思う。それ以上は分からない。自信がない…」
被爆者の平均年齢は83歳。記憶の伝承が課題となっています。
伝承のため作った「紙芝居」
被爆体験を後世に残すため、大和さんは去年、紙芝居を作りました。
大和さん:「私も今年で80歳になるので。あまり話ができなくなるだろうから、これを残しておけばいいかなと思い作った」
紙芝居のタイトルは『ターチャンのヒロシマ』。
「8時15分、ものすごい爆風が街を襲い、家や建物を破壊しました」
大和さん:「2008年に私は胃がんになりました。その年の秋にやっと原爆症と認められました。生きながらえた被爆者は苦しみを一つ一つ乗り越えてきました。二度と私たちのような原水爆の被害者を作らせないことを願っています」
記憶を風化させてはならない。命が続く限り、記憶を語り継いでいきます。
大和さん:「戦争というのはやってはいけない。あんなこと二度と起こってはいけない」