【特集 東日本大震災から11年】「スポーツの力を信じて…」被災したJリーガー 今抱く夢は 静岡・アスルクラロ沼津

東日本大震災関連の特集です。きょうは自身も被災し震災で父親を亡くしたサッカーJ3アスルクラロ沼津のキャプテンです。「スポーツの力を信じて…」。思いを取材しました。

大学1年の時に被災

サッカーJ3、アスルクラロ沼津の菅井拓也選手、30歳。ポジションはMF。キャプテンとしてチームをけん引しています。仙台市出身で、大学1年の時に被災しました。

画像: 大学1年の時に被災

アスルクラロ沼津
菅井拓也選手:「当時はまだ大学1年生の3月だったということもあって、なかなか突然のこともあって、実感っていうか、何が起きたか分からない状況で」

午後2時46分。発災したその時は、部活の練習直後でした。

菅井拓也選手:「結構本当に立ってられないような揺れの強さを感じましたし、照明のナイターの設備もあったんですけど、それが本当にしなっていて、折れるんじゃないかなっていう。揺れをあの実際にも目で見て感じてました」

47歳の父が津波の犠牲に

死者1万5900人。行方不明者2523人。

菅井選手の地元・仙台市では、904人が犠牲になりました。

菅井拓也選手:「こんなにあの津波の威力とか、あの怖さを痛感しましたし」

画像1: 47歳の父が津波の犠牲に

公共交通機関が寸断された、仙台市内。菅井選手は、発災翌日、4時間かけ自転車で帰宅しました。

菅井拓也選手:「帰りの道中で、瓦礫や木がこんなところまで、田んぼの用水路とかつたってきてたので、結構ここまで本当に津波の流れを切ったんだっていうのを感じました」

 菅井選手の父、勝己さん、当時47歳。津波に飲まれました。対面できたのは、発災5日後、遺体安置所でした。

画像2: 47歳の父が津波の犠牲に

菅井拓也選手:「本当にお父さんって分かる状態で見つかったのが非常に、最後しっかり顔見れてよかったですし、当時は突然の出来事だったので、自分の中でも複雑な気持ちというか、整理がつかない状況だったんですけど」

被災体験を伝える活動も

11年の年月が流れようとしています。菅井選手は、被災体験を伝える活動も続けています。

「地震が発生した時の対処法」や「避難経路の確認」。「もしも」の時に必要なこと…。

菅井拓也選手:「当時の思いをしっかり胸に刻んで、また今後にわからない人も今後数多く出てくると思いますし、忘れ去られないように」

2013年、大学卒業後に、現在J3の「ヴァンラーレ八戸(はちのへ)」に加入した菅井選手。その後、2017年にアスルクラロ沼津に移籍し、去年から、キャプテンとしてチームを引っ張っています。

11年の年月が流れようとしています。菅井選手は、被災体験を伝える活動も続けています。

「地震が発生した時の対処法」や「避難経路の確認」。「もしも」の時に必要なこと…。

菅井拓也選手:「当時の思いをしっかり胸に刻んで、また今後にわからない人も今後数多く出てくると思いますし、忘れ去られないように」

2013年、大学卒業後に、現在J3の「ヴァンラーレ八戸(はちのへ)」に加入した菅井選手。その後、2017年にアスルクラロ沼津に移籍し、去年から、キャプテンとしてチームを引っ張っています。

天国で見てる父に恥じないように

菅井拓也選手:「天国で見てる父に恥じないようなことをして行きたいなと思っています」

被災し、父親を亡くした菅井選手。まもなく11年。今、抱く思い…。

画像: 天国で見てる父に恥じないように

菅井拓也選手:「当時、地元の宮城県のベガルタ仙台だったり東北楽天イーグルスだったり震災当時、日本一になったり、J1の舞台で躍進したりとか、僕もいち被災者として非常にスポーツの力っていうの感じましたし」
「今年で11年になりますけど、サッカーを通して多くの方に届けられるようにパワーを与えて背中を押せるように。宮城県出身の選手として、頑張ってきたいなと強く思ってます」