ゴミに囲まれていた「戦争の跡」をボランティア団体が整備 「語り継ぐのが今の人たちの義務」 静岡・御前崎市

 静岡県御前崎市には、第二次世界大戦当時に作られた「戦争の跡」トーチカが遺されています。今年、新たな動きがありました。

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 御前崎市の遠州灘海岸沿いにあるコンクリート製の建物。周囲を見ると、弾が当たった跡のようなものも確認できます。この建物は、砲弾の性能を確認するために、旧陸軍が地元の地権者から土地を強制的に取り上げ、1939年に作ったトーチカで、当時は「観的所」と呼ばれていました。

 同じ遠州灘海岸沿いにある、およそ8キロ離れた射場から発射される弾の威力を、トーチカの中から確認していたと言われていますが、軍事機密で当時の資料は残っておらず、正確な事は分かっていません。

 当時を知る人に話を聞くことが出来ました。

沖誠さん(86):「(試験弾を)知らせる花火が上がった。きょうは海に行ってはいけないという思いと、あとはトーチカへ行って遊んだ記憶があります」

谷茂夫さん(86):「ヒューという音がしてくる。ドカンっと音がして、すごい砂が舞った。七ツ山の境にバカバカ落ちた」

Q.それは試験の弾?

A.「試験の弾。弾もいろいろあって、大きいのと小さいのがある。子どもの時、それを拾っていた」

70年が経過し、ゴミがあふれるが…

 戦後、このトーチカと土地は、地元の地権者に売却されましたが、70年近くが経過し、粗大ゴミの捨て場所となってしまい、周辺は、ゴミにあふれていました。

 しかし去年11月、地元のボランティア団体「ふるさとの自然をまもり隊」が、「このトーチカを多くの人に知ってもらいたい」との思いから、地権者の了解を得て、ゴミの片付けや雑木林の伐採などを行いました。

代表の山下洋子さん:「第2次世界大戦から76年になるけれども、その間、(日本では)戦争がありません。二度と戦争が起きないように、のこされたものを後世の人に語り継ぐというのは、今の人たちの義務ではないかと思います」

 忘れられていたトーチカが、地元の人々の努力により存在を取り戻したあと、整備されたトーチカの前に看板が立てられました。最後のメッセージにはこう記されています。

「二度と戦争が起きないように、世界の平和を願わずには」