【シリーズ終戦】学徒動員で中3で軍需工場へ 同級生29人が空襲の犠牲に… 浜松市
学徒動員で中学3年生で軍需工場へ
1944年7月、生徒たちに下った学徒動員令。生徒は学校ではなく、軍需工場に通うことを余儀なくされました。
牧野和子さん:「自分の命を捨てても、国家のために働かなきゃいけない。それじゃなきゃ、勉強を捨てて学徒動員なんか、工場なんか行かない」
当時中学3年だった牧野和子さん。青春の服装は制服ではなくモンペ。燃料タンクを作る軍需工場となっていた河合楽器で働いていました。空襲警報が出ても働かされ、退避命令が出るまで避難できなかったといいます。
牧野和子さん:「だから退避命令なんて言ったら爆音が聞こえてきてる」
空襲で同級生失う…悲しむ余裕もない
軍需工場が点在していた浜松市は何度も空襲の標的にされました。1945年4月30日、牧野さんたち西遠の生徒が働いていた工場も爆撃を受けました。工場から逃げる途中で同級生を失いましたが、当時は悲しむ余裕もありませんでした。
牧野和子さん:「どうして学生当時に命が大切だとか、命を大事にしなさいとか言わなかったのかと思う。ほんとに命知らずで」
慰霊碑に刻まれた30人の名前
4月30日と5月19日。2度の空襲で、生徒29人教師1人の命が失われました。慰霊像には生徒たちの名前が刻まれています。
学校では、毎年、慰霊式を行ってきました。しかし今年は新型コロナウイルスの感染拡大により、活動を縮小せざるをえませんでした。
それでも、記憶をつないでいこうとする学校の試みは、少しずつ実を結びつつあります。
曾祖父に聞く「戦争」
西遠女子学園に通う高校1年生高井凛さん(15)。施設に入っている曾祖父との面会は新型コロナの影響で、ガラス越しです。
西遠女子学園 高校1年生 高井凛さん(15):「じいじ、きょう夏服だよ。制服」
曾祖父 犬塚定男さん(92):「制服着てると全然違うな」
西遠では毎年中学1年生が戦争体験者を取材し、その内容を作文にまとめています。3年前に高井さんも、学徒動員により働いてた曾祖父から戦争中の話を聞きました。
自分と変わらない年齢で、命の危険にさらされながら働いていた曾祖父の体験を聞き、平和を願うきっかけになりました。
「私たちが戦争体験者から話を聞ける最後の世代」
西遠女子学園 高校1年生 高井凜さん:「身内にそういう思いをした人がまさかいると思わなかったので、話を聞くだけでもとてもつらい気持ちになって、戦争は改めていけないと思った」
ただ今年は新型コロナの影響で、取材活動も3割ほどの生徒しかできませんでした。
西遠女子学園 高校1年生 高井凜さん:「私たちの世代が、曾祖父や戦争体験者の方のお話を聞ける最後の世代だと思う。聞いた話をそのままにせずに発信して、一人ひとりの(平和への)意識が広まれば、平和になると思う」
終戦から75年。薄れゆく記憶をどうつないでゆくか、残された時間は多くありません。