「あきらめようかと思っていた」…勇気づけてくれた学生ボランティア 土砂災害から1年2カ月…再開までの軌跡(3)静岡市 /ニュースの現場
旅館の裏にある大塚祐史さんの自宅も被災。妻の郁美さんと長男の賢輝さんは、市街地にある郁美さんの実家へ避難しました。大塚さんと母・トミ子さんは旅館に残り、親子での生活が始まりました。
被災したため母親と2人の生活に
Q.旅館を営業していたころ夕飯はどうしていた?
大塚さん:「私がまかないを作って、お客さんのを出し終わって落ち着いた時に、順番で食べてもらうようにしていました」
Q.お母様と食卓を囲んだことは?
大塚さん:「一切ないです」
母・トミ子さん「何十年ぶり。夕食をこういう具合にして食べるのは」
母・トミ子さん「この人が4歳ぐらいの時にこの旅館を始めたもんですから。この人はおばあちゃんに育ててもらって、ほとんど(食事は)別々でしたから」
旅館が休業になったことで始まった、親子水いらずの食事。 実は半年前まで、一緒に食卓を囲んでいた家族がもう1人いました。今年1月に亡くなった父 允信(まさのぶ)さんです。
大塚祐史さん:「元々、肺を痛めていて、寝たきりというか、あまり具合がいい状態ではなくて、最終的に病院へ入れた方がいいねという話で連れて行って、そのまま。ずっと父も再開を望んでいたみたいで まだ全然片付けでいっぱいで、再開の目途の話ができなかった。災害から半年、ずっと毎日朝昼晩と父と食事をとれたというのは、最後に父にとっては幸せなことだったんじゃないでしょうかね」
ボランティアをした学生が休業中の油山苑に
5月下旬、休業中の油山苑にお客さんの姿がありました。
大塚さん:「災害直後からボランティアで来ていただいた学生さんたちです。みなさん様子を見がてら遊びに来たいということで、さみしく暮らしていたので…」
Q.何を作っている?
学生A「長芋のお好み焼きみたいな」
(味見)
学生B「熱い」
学生A「うまい! 熱い!。若旦那にあーんしてあげよう」
(大塚さん味見)「あちー あつっ おいしい」
去年、泥かきや片付けをしてくれた学生ボランティアのみなさんが、関東や関西から泊まりがけで遊びにやってきました。夕食は学生たちの手作り。メインの料理はカレーです。
「手を合わせてください。いただきます」
学生たちに誘われ、大塚さん夫妻も一緒に食事。久しぶりに、にぎやかなひとときを過ごしました。
埼玉 大学3年男性:「最初にニュースで取り上げられているのを見て、自分に何かできればいいなと思って活動しました。お昼ご飯を一緒に食べたり、作業も一緒にさせてもらったりして、自分たちが元気を届けようと来たんですけど 逆に元気をもらった」
東京 大学4年生女性
Q.最初にここの状況を見た時どう思った?
A.「泥の多さ。向こう(上流)まで歩いていった時に、今歩いている道が川で流れている川が道路だったと言われた時は、衝撃的でした」
Q.活動した場所に遊びに来られて…
茨城 大学4年生女性:「うれしいですね」
東京 大学4年生女性:「それっきりの場合ももちろんあるので」
茨城 大学4年生女性:「以前はこの旅館を閉じることを考えていたという、それを経て、今こうやって布団が敷かれているっていう状態がうれしいですし、自分ももっと頑張らなきゃと思うきっかけにもなりました」
大きな災害に遭いながらも、再開を決意した油山苑に、勇気づけられているという学生たち。
学生「今いるメンバーで新しくメッセージを」
郁美さん「きょう書いてくれたの?」
学生「空いてる時間にバレないかひやひやしながら」
2人に贈られたのは、内緒で準備していたという寄せ書き。「油山苑にこうして泊まりに来られて幸せです」。それぞれの熱い思いがつづられていました。
郁美さん「みなさんがいなければ、あの時もう旅館はあきらめようかと思っていたところだったので、こういうふうな気持ちに…。ならせてもらって本当にありがとうございます」
大塚さん:「これからまたリニューアルして、新たなきれいな油山苑として、みなさんをお迎えできるように頑張っていくので、これからもよろしくお願いします」
災害がきっかけで生まれた、若者たちとの絆。旅館再建に向けて、決意を新たにした1日でした。