99歳の母親を背負って避難した息子 100歳の誕生日を待たずに母は… 熱海土石流災害から間もなく1年
99歳の母親を背負って土石流から避難
去年9月。熱海市内の市営住宅。伊豆山の一軒家で暮らしていた後藤光雄さん(76)と母のてる子さん。発災当日、後藤さんは、てる子さんを背負って避難しました。
後藤光雄さん:
「私は75歳、母親もほぼ100歳で老々介護です。老々介護で、伊豆山の土石流から逃げて、流れてここに来ました」
百歳の祝い状。てる子さんは年が明けると100歳を迎えます。
母・てる子さん:
「お祝いしていただきまして、本当にうれしいですわ。本当にね。菅首相から、知事さん、市長さん、本当に、私申し訳ないくらい立派にお祝いしていただいてうれしい限りでありがとうございます」
家のすぐ下を土石流が…
母:てる子さん:
「あの(7月)3日は恐ろしかったこと、脳裏から離れません。家はちょっと坂より上ですからね。下流れるのが見えます。絶壁の上ですから。下流れるのが見えます。うちもこれは崩れる。まああかんと思いました。息子が安全なところ行って一生懸命運んでくれましたが、まあどちらにしてもあかんと」
土石流は、後藤さん親子の家のすぐ下を流れ下りました。
後藤さん撮影カメラ:
「これが僕の家の前です。下が土石流のあった場所です」
発災の9日後、一時帰宅した後藤さんが撮影した自宅周辺。捜索活動が続いていました。
後藤さん撮影カメラ:
「ここから一気に土石流が上から流れて、地獄の光景でした」
周辺には土砂やがれきが残されたまま。
後藤さん撮影カメラ:
「これが私の家です」「ここから上にのぼっていきまして、上から下を見てみます。こんな感じです。これが玄関です」
2カ月以上続いた避難生活
発災直後は、市内の学校に避難。その後は、ホテルへ。そして、また、別のホテルへ。避難生活は、2カ月以上続きました。この日、後藤さんが向かったのは、市内にある畑。
後藤光雄さん:
「空心菜が、私好きなんですよ。あと、モロヘイヤはそんなにですけど、里芋、ゴーヤがいつもたくさんなるもんですからね」「これからだと思う。まあ、ちゃちなもんですけどね」
数種類の野菜を育てています。
後藤光雄さん:
「青汁にしてこれを。ジューサーの中に入れて、玉ねぎとかニンジンとかバナナとか一緒に入れて飲むんですけど。ちょっとした家庭菜園。狭いですけどね。楽しみに」
後藤さんの家は、市営住宅の5階。ベランダからの景色が、てる子さんのお気に入りです。
母・てる子さん:
「山と山との間、そこに家がずっと建ってね。いい景色」
後藤光雄さん:
「ここはもう当分。うちのおばあさんが気に入っているみたいですから。気に入っていればそれでね。こんないいところないって言いますからね。喜んでいますから。だから私は別に問題ないですけど。またどういうこと言い出すかわかりませんけど」
母を背負って避難、その5か月後の看取り
去年12月1日。てる子さんが老衰で息を引き取りました。
葬儀屋:「今98ですか?」
後藤光雄さん:「99です。1か月ちょっとで100歳」
99歳の母を背負って避難。それから5カ月での看取り。
後藤光雄さん:
「最後は、ありがとうありがとうって何度も言ってね。もう声出ないと思ったんですけど、声出ました。なんだ婆さん声出るんかって。一生懸命ありがとうありがとうって言っていましたね。まあ悪くはなかったと思いますけどね」
てる子さんの死から半年。この日も、日課のスムージーづくりです。
後藤光雄さん:「これ1日2回、飲むだけです」
伊豆山を追われ、たどり着いた市営住宅。もうすぐ、1年が経ちます。
後藤光雄さん:
「あのときのことをやはり、まざまざと思い出しますよね。でもここに来てね。皆さんに本当に助けていただきまして、喜んでいます。うちの母親も喜んでいました。避難所でみんなと一緒に行かなくていいように、ホテルにいて。動けなかったんですけどね。車いすであっちこっち見せていただきましてね。ホテルの中とか」
後藤さんは、今年3月、小型船の免許を取りました。
後藤光雄さん:
「この年で乗るとは思わなかったですね。年は関係ないですね。いろんなことをやってみれば関係ないですね。気持ちだけで」「本当、あっという間に過ぎてしまいましたね。いろいろありましたけど、またこれからいろいろ考えて、それぞれの方がね、私もそうですが、生きていかないといけない」