3年後パリでリベンジを… 東京パラリンピック車いすバスケ銀メダルの藤本選手「悔しさは同じ舞台でなければ果たせない」
忘れられない試合となったアメリカとの決勝。「悔しさは同じ舞台に行かなければ果たせない」と、3年後を見据えています。
車いすバスケットの日本代表として5大会連続でパラリンピック出場を果たした藤本怜央選手。37歳で迎えた東京パラリンピックでは、日本の大黒柱としてチームを支え、銀メダルを獲得。しかも決勝では「王者」アメリカを最後まで苦しめ、リオでは9位だった日本に初めてのメダルをもたらしました。
藤本選手:「(アメリカは)リオの優勝国なので雲の上の存在だった。(決勝は)自分たちが強くなったと実感出来たし、その場に立てたことで自分たちの実力は間違いなかったと感じられた」
障害を重く感じたことはない
島田市で生まれた藤本選手は、小学校3年生の時、交通事故で右足の膝から下を切断。残っている当時の記憶…。
藤本選手:「ショックなことはあまり記憶に残ってなくて。翌日には両親が義足の存在や義足を履いてスポーツをするという・・。楽しくなることを常に伝え続けてくれたので障害を重く感じたことはない」
誰にでも出来ることと出来ないことがあるー
自分の障害をそう受け止める藤本選手は、この夏、簡単には出来ないことをやってのけました。
逆転負けの決勝…あと4点で世界一
世界の頂点をかけた決勝で、アメリカの出鼻をくじく先制のスリーポイント。さらに勝負所で大事なシュートを決め、チーム2位の11得点をあげました。ディフェンスでもクレバーでタフなプレーでアメリカの攻撃を封じ、最終第4クオーターまで日本がリード。
しかし・・・
残り5分から立て続けに失点し60対64の逆転負け。
藤本選手は、若い選手たちに「よくやった」と声をかけていました。
藤本選手:「終った瞬間はこの大会を通して自分たちが大会期間中に飛躍的に成長できたことがとてもうれしかったですし、あと4点で世界一になれたという、僕だけではなくチームで同じ認識の中であの試合を戦って感じられたことが財産になった」
次の目標「40歳になる年にもう一度」
メダルを取る「ラストチャンス」と選手生命をかけて臨んだ東京パラリンピック。大会直後は明言を避けていた次の目標について語りました。
(次回パリは?)
藤本選手:「集大成として東京は終えたが、達成感はあるがやり残した決勝で最後まで戦い抜いて。その悔しさは同じ舞台に行かなければ達成できない。自分が40歳になる年にもう一度挑戦したいという気持ちでいる」
(40歳での金メダル期待しています)
藤本選手:「それも僕の中のプロセスなのでしっかりと遂行できるように頑張ります」