170年前にタイムスリップ⁉ 3日間で20万人来場の下田「黒船祭」の知られざる魅力
東京の神田祭、京都の祇園祭、大阪の天神祭り…。
日本にはその土地に根付いた様々な祭りがあります。祭りはその土地の文化や歴史を知る上で非常に重要な要素です。
そんな全国に数ある祭りの中でも、”和”と”洋”が折衷した一風変わった祭典があります。
それが静岡県下田市で毎年開かれる「黒船祭」。
下田と言えばペリー来航によって初めに開港した場所のひとつです。この歴史的な出来事が今では祭典となり、多くの人が下田を訪れるきっかけとなっていたのをご存知でしょうか。
歴史の転換点が祭典になるまで
今年で84回目となる黒船祭。しかし、当然のことですがペリー来航後、すぐに祭典が開かれたわけではありません。いったいなぜ、ペリーの来航が「祭典」になったのでしょうか。
1854年、当時鎖国をしていた日本にペリー提督率いる米国海軍が来航。開国か鎖国かで世論が二分する中、下田が初の開港の地のひとつに選ばれました。
今でこそ歴史上のひとつの出来事として振り返ることができますが、当時は国の未来を大きく左右させることとなった大きな事件です。
この”事件”が祝われ、楽しまれるような祭典となるにはさらに時間を要します。
黒船祭がはじまったのは昭和9年(1934年)。黒船来航から数えると80年後です。下田開港につくした内外の先賢の偉業をたたえ、併せて世界平和と国際親善に寄与するために黒船祭は始まりました。
初の黒船祭が開催されて約90年、ぺリー来航から数えると170年。今では黒船祭は年間を通して下田市がもっとも賑わう期間となっています。
3日間で20万人が訪れる理由
毎年5月第3週の金曜日から日曜日にかけての3日間で黒船祭は開催されます。
例年、黒船祭には三日間で20万人が参加。下田市の人口は約2万人なので、人口の10倍もの人が訪れることとなります。
なぜ、これだけ多くの人が黒船祭に訪れるのでしょうか。その理由のひとつに黒船祭の独自性があります。
祭典の期間中、多くの人が開国当時を模した衣類や思い思いの和服に身を包みます。また観光客のための変身コーナーも設けられおり、事前準備がなくても、祭典の雰囲気に合わせた”和”の格好に着替えることが可能です。
市民、観光客が一体となった変身により、まるで170年前にタイムスリップしたかのような情感が街全体で形成されます。この非日常的体験が黒船祭の大きな魅力です。
黒船祭最大のイベントが「記念公式パレード」です。米軍や自衛隊を筆頭に下田市内の中学校・高校の吹奏楽部などで編成された音楽隊が街を練り歩きます。日米の国際色豊かなパレードは圧巻です。
記念公式パレードに続いて行われる「にぎわいパレード」では、先ほどの時代衣装を着た人が多数参加します。こちらもまた、他の祭典では見ることができない壮観さを味わうことができます。
ここでしか堪能できない贅沢な寸劇
下田市民と参加者によって作り出される黒船祭。
パレードのほかにも記念式典、海上花火、きものファッションショーなどの多数のイベントが期間中に開催されます。
その中でも黒船祭ならではと言えるのが再現劇「日米下田条約調印」です。
名前の通り、日米和親条約の細かい規定を定めた「下田条約」の調印式の様子を再現した劇が行われます。そして劇の開催場所は実際の調印の舞台となった「了仙寺(りょうせんじ)」。
歴史の出来事を再現する劇は多くありますが、歴史的な出来事があった場所と同じ場所で劇を開催するというのは全国的に見ても非常に珍しいのではないでしょうか。
また、パレードや劇だけでなく、祭典の大きな楽しみである屋台グルメも充実。開国市は多くの露店で賑わい、夜にはライブを楽しみながらご当地グルメに舌鼓を打つことができます。
おすすめのエリアは?
黒船祭に訪れたらぜひ通ってほしいのがペリーロードです。
ペリーロードは、ペリー提督一行が、了仙寺で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したため、このような名称がつけられました。
ペリーロードは、かつて出船入船三千隻とうたわれた港町下田の花柳界の面影を残しており、平滑川(ひらなめがわ)沿いを石畳の道が続き、伊豆石やなまこ壁の家並み、柳並木が独特の風情を醸し出しています。
この他にも、日露和親条約締結場所である長楽寺、あじさい祭で有名な下田公園もこの地区に位置しており、たくさんの観光客が集まる下田の代表的な観光スポットです。
“和”と”洋”の文化が入り混じった、下田の今と170年前の両方を堪能することができる黒船祭。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。