亡き妻への思い…1500株のバラ園を1人で 82歳男性「好きだったバラで供養したかった」 浜松市
2700平方メートルの敷地に300種1500株
空に向かい、鮮やかに咲き誇るバラ。ここは、浜松市にある「ばらの都苑」です。
ばらの都苑 天野和幸さん:「慣れているっていえば、慣れているからね」
およそ2700平方メートルにもわたる敷地にバラ園を手掛けたのは、天野和幸さん、82歳。23年前、茶畑だったこの土地にバラを植え、今ではおよそ300種1500株以上の花が咲いています。
ピンクと赤が鮮やかな門は沖縄の守礼門をイメージ
園内に入るとまず、ピンクと赤が鮮やかな門が出迎えてくれます。
ばらの都苑 天野和幸さん:「沖縄の守礼門をイメージしてある。つるバラを早く咲いて楽しむのが(左)、今は左半分はもう散ってしまったけど、右半分が少し遅めに来られた方に楽しんでもらえるように、真っ赤なのをこっちに配置してみた」
元々鉄工場で働いていた天野さん。その経験を生かし、パイプを組み合わせ、タワーや橋などを作り上げました。ピンクのバラのアーチをくぐると、そこはまるで銀世界。雪をかきわけた道をイメージし、純白のバラに包まれる空間です。そのスケールと美しさに、緑化推進運動功労者として「内閣総理大臣賞」を受賞したことも。
「恩(めぐみ)の城」…名前に込めた思い
こちらは「恩(めぐみ)の城」。名前には“ある思い”が込められています。
ばらの都苑 天野和幸さん:「女房の28年間、お礼という言葉を、字を置きかえると「恩」という字になる。これが本当の読み方、「めぐみ」って」
28年間連れ添った妻が肺がんに
実はこのバラ園、天野さんにとって特別な意味合いを持つバラ園なんです。
ばらの都苑 天野和幸さん:「28年間連れ添った女房を急に亡くしてしまって、供養として始めました。花で思いっきり供養をしましょうと、それが僕の一番の原点だったんです」
今から25年前(1998年)、妻の都(みやこ)さんは、肺がんのため49歳という若さでこの世を去りました。四十九日を迎えた頃、天野さんは妻の都さんとの“最後の思い出”を振りかえったといいます。
ばらの都苑 天野和幸さん:「肺がんの宣告を受けた時に、じゃあ、何とか動けるうちにどこか行きたいとこあるかねって聞いたら、2人で何度か行った島田のバラ園にもう一度行きたいということで、島田のバラ園に行ってきて、すぐに再入院してしまったので、家内が好きだったバラを植えて供養しましょう、というのが一番最初の思いつきの計画でした」
バラという形で亡き妻への思いを伝えてきた天野さん。年を重ねるごとにその規模が大きくなり、現在の形となりました。長い時には手入れに12時間ほどかける日もあるそうです。
ばらの都苑 天野和幸さん:「それと同じくらい苦労かけましたから、28年間に。どんなことがあっても、恩返しをしなきゃいかんなと思って」
園の奥には妻の都さんが一番好きだったというバラが。「希望」という名の品種です。
ばらの都苑 天野和幸さん:「なかなか増えないんです、これ一株しかないです、今。でもこれを大切にして何とか増やしたい」
色とりどりのバラが咲く園内には、花々に囲まれた1台のクラシックカーが…。
ばらの都苑 天野和幸さん:「プリンス自動車という、その当時、皇室へ納められていたものとほとんど装備が一緒の車。(妻と)ちょっと気晴らしに行こうとか、ちょっとかっこつけて遊びに行こうって時には、これ乗って行った。日本平とか清水港とか愛知県の渥美半島の灯台。苦労させている女房に、少しでも気が緩む時があったらいいかなという、そういう目的でこれは使いました」
来園者は1日1000人
2人の思い出が詰まったバラ園。私設でありながら無料で開放していて、見頃の時期には1日におよそ1000人訪れるほどの県内有数のバラの名所となりました。
豊橋市から 50代(妻):「ここのお庭には、旦那さんの思い入れがすごくあると聞いていて、父も母も亡くしたばかりということもあって、癒されたいなと思って来た。さっきオーナーさんとお話もして心が温かくなった。どうしても行きたいって言って、きょう来てよかったよね、ありがとね」
豊橋市から 60代(夫):「昔、イギリスに仕事で3年間住んでいたので、バラ園によく行っていたが、それに負けず劣らずの良いバラ園で感動している」
豊橋市から 50代:「ここまでの規模をやられていて、すごくじーんときた」
磐田市民 70代:「毎年2回くらい来ている。ずっと奥さんが亡くなってから、ずっとお世話していてるということに感動して、いつも見に来ている」
「感謝の気持ちは大きくなる」
まもなく83歳になる天野さん。これからも、この場所でバラを育て続けたいと話します。
ばらの都苑 天野和幸さん:「亡くなって25年になるんだけども、守ってくれているな、空から見守ってくれてね。1つの病気もせずに24回目のバラを咲かせることができました、ということで感謝の気持ちは大きく持っております」