【熱海土石流】なぜいま? 復興計画変更(前) 災害から2年…被災者から『不安の声』相次ぎ
28人の命が奪われた、熱海市伊豆山の土石流災害から、間もなく2年が経過しようとしています。いまだ、200人以上が避難生活を送っていて、警戒区域に指定された場所に、許可なく入ることはできません。そうした中、熱海市による復興計画が見直されることになりました。
静岡・熱海市 斉藤栄市長:「より良い方式に、被災者の皆さんの声を反映させていただいた」
自宅が全壊した太田滋さん:「最初につくった計画が、自分たち(被災者)の意見を何も反映されていなかった」
住民の声を聞いて、決められたはずの復興計画が、ここにきて、なぜ変更されることになったのでしょうか。
間もなく発災2年…現場の状況は
伊地健治アナウンサー:「多くの人の命を奪った土石流災害から、まもなく2年が経とうとしています。土石流が流れ下ってきた国道沿いの逢初橋、ここから上は今も警戒区域に指定され、立ち入りができない状況となっています。ただ、あちらを見てみると解体作業でしょうか、重機が動いている様子も見られます」
28人が亡くなった、熱海市の土石流災害。その原因は、逢初川上流部の、違法な盛り土とされています。そして現在も、「警戒区域」が設定され、立ち入ることができません。
伊地健治アナウンサー:「警戒区域の場所の入り口には、被災した家屋を解体しています、と書かれた看板が置かれています。そしてこちら逢初橋のたもとを見てみますと、建物があった場所の基礎部分でしょうか、壊れたコンクリート、そして、むき出しになって折れ曲がった鉄筋が見えます。この場所だけを見ると、2年前の土石流が起きた時からあまり大きく変わっていないようにも感じます」
熱海市が復興計画を変更
そうした中、被災地のスムーズな復旧、復興を目指して、熱海市が、去年9月につくった「伊豆山復興まちづくり計画」。しかし、5月になって、その復興計画を変更したことが明らかになりました。
被災者は…
自宅が全壊した太田滋さんと、妻のかおりさんは、現在、熱海市に隣接する神奈川県湯河原町の賃貸住宅で暮らしています。
太田滋さん(66):「もしかすると、(土石流が迫るのを)見ていて覚えていたかもしれないけど、今その記憶が何もない。音も何も覚えていない、だからこうやって話せるのかもしれない」
22日、湯河原の仮の住まいに、復興計画の変更を伝える1通の手紙が郵送されてきました。
伊地アナ「この3枚の書類が郵送で」
太田さん「19日付で、週明けに届いた」
伊地アナ「被災者の皆様という宛て名で…。被災地宅地復旧事業補助金制度について」
太田さん「最初は、そんなに重要なことではないと考えていたが、去年から作った(復興)計画の根本が崩れてきていると思った」
伊地アナ「中身を知るにつれ、驚いた?」
太田さん「(新たな計画が)被災した我々に対して、いいことなのか、悪いことなのか分からない」
当初の復興計画に被災者から『不安の声』
伊地健治アナウンサー:「起点からおよそ2kmにわたって海へと流れ下っていった土石流、その中ほどの場所に来ています。ここから海のほうを見ますと、逢初川の両サイドにあったはずの宅地はまったくない、跡形もない状況です。熱海市の当初の復興計画では、こうした1つ1つの宅地を被災者から買い取って、整備したうえで分譲するというものでした」
当初の「復興まちづくり計画」では、市が、被災した土地を買収したのち、宅地造成を進め、2025年度中に、分譲するという計画が示されていました。
ところが、「もともと住んでいた土地に住めなくなるのでは」「分譲価格が買い取り価格を大きく上回ってしまうのでは」といった不安の声が相次いだということです。
そこで、見直し案では、地盤の復旧工事などは被災者が行い、工事にかかった費用の90%を市が補助するという方法に変更しました。こうすることで、より早い復旧が見込めるとしています。
自宅が全壊した太田かおりさん(57):「制度自体はいいものなのかもしれないが、制度について市の認識はちゃんとしていたのか、(制度を)住民に丁寧に伝えてくれていなかったのではと思う。良く分からない制度を持って来られても、やっぱり不安なんですよ。最初の時点で精査して、ちゃんと説明してくれていたら、こんなに遅くなる前に、もっと自分のいい道が選べた気がする。それが非常に残念」