「私の妹は戦争で死にました。これからの子どもたちにそんな思いはしてもらいたくない」静岡市清水区に新たに平和資料館が開館

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 あすで終戦から81年。戦争の記憶が薄れる中、静岡市清水区に新たに平和資料館が開館しました。背景には悲惨な過去を後世に伝えようとする女性の姿がありました。

 8日に静岡市清水区の下清水町にオープンした清水平和資料館。1階にコミュニティスペース、2階に常設展示品、旧清水市の戦争の記憶を今に伝えようと有志の寄付で建てられました。

 開館初日には当時を知る地元の住人2人が招かれ、120人を超える来場者が生の戦争の体験談に聞き入りました。

●小谷郁夫さん(93):
「飛行機の姿が見えるくらいの低空。岡小学校から忠愛(当時の高等小学校)に向かって焼夷弾をだーって落としたわけ。すると炎が真っ赤に上がって」

●橋本不二夫さん(93):
「うちの小屋のところも焼夷弾が落ちた。うちのオヤジは軒先に手をあてたら細長い焼夷弾が落ちて。朝保健所におふくろが連れってて、そしたら手を取らないといけないとなって手首をとっちゃったんですね」

 旧清水市は米軍により2回大きな被害に遭ったといわれています。1つは終戦のおよそ1カ月前、1945年7月7日に起きた「清水空襲」。もう1つはそのおよそ3週間後の清水港からの米軍軍艦による艦砲射撃です。これらにより港まち清水の市街地の半分以上が焼失し、およそ200人が犠牲となりました。

●清水平和資料館理事長 小畑雪江さん(89):
「私は来月90歳です。終戦の時には小学校4年生でした。だからよくわかっています。私の妹は戦争で死にました。これからの子どもたちにそんな思いはしてもらいたくない(涙声)」

 資料館の代表理事を務める小畑雪江(おばた・ゆきえ)さん。太平洋戦争末期に浜松から旧清水市谷田(やだ)に疎開し、空襲を経験しました。

●小畑さん:
「疎開して3日目ですよ。猛烈に爆撃されて三軒向こう側のうちの防空壕に直撃して6人の家族が全滅したんです。そういうことがどこに行っても疎開しても死ぬ(かもしれない)、生き残れるかどうか分からなかった。毎日のようにバンバン音がするから、これが艦砲射撃の音なんて分からない」

 小畑さんら資料館の関係者にとってこの地に平和の拠点を作ることは悲願だったといいます。

●小畑さん:
「石碑も全部跡形もなく壊されたんですよ」

 資料館から200メートルほど離れた場所。かつてここには清水空襲を免れた教会がありました。

●小畑さん:
「この街が焼け野原になった時にカトリック教会の高い塔が2つある。あそこがポツンと残ったんです。そこに傷ついた人がわっと駆け込んで。ほかに家がないですから」

 教会は救護所や避難所として活用され、戦後の清水の街のシンボルだったといいます。3年前まで当時の姿を残したまま現存していましたが、小畑さんらの尽力もむなしく老朽化の観点などから取り壊されました。

●小畑さん:
「ここの教会で学校の先生が子どもに平和教育をしたっていう。それがずっと続いていたんですよ。それが取り壊されてもうない。それでどこかに平和センターを欲しいと思って」

 教会に代わる新たな戦争の学びの場を。小畑さんの思いが新たな平和資料館につながりました。

●小畑さん:
「子供たちや若い人に戦争はだめよっていうことを分かってもらえる場を欲しかった。戦争って何か。無差別殺人ですよ。それを知ってほしい。それを勉強会をしたいここで」

●高校生:「年下の後輩呼んでまた来ます」

●小畑さん:「お願いしますね」

●小畑さん:
「これが希望なんです。そういう希望が出てきたのでやっぱり思い切って建ててよかったなと思ってます」

「私の妹は戦争で死にました。これからの子どもたちにそんな思いはしてもらいたくない」静岡市清水区に新たに平和資料館が開館