今年のプロ野球ドラフト会議の大トリ、123番目に指名された選手が静岡市清水区にいる。東海大海洋学部4年加藤廉内野手(21)。会議が始まって3時間後、巨人から育成枠12位で指名され、手塚慎太郎監督ら大学関係者を歓喜させた。高校時代は華奢な無名選手だったが、大学で体をつくって能力を開花。憧れのプロ野球界に滑り込む心境、目標などを静岡朝日テレビに明かした。
画像: 巨人の帽子を手に笑顔の加藤廉

巨人の帽子を手に笑顔の加藤廉

 ドラフト会議から4日後の10月30日、加藤が、「スポーツパラダイス」(金曜夜11時10分)の取材を受けるため、手塚監督と静岡朝日テレビを訪れた。JR東静岡駅近くの美容室で散髪をしたばかりで、晴れやかな表情で席に座り、指名当日の心境を語った。
 「正直、育成枠の指名が始まり、どんどん球団が選択を終了する中で、『やっぱり、きついのかな』と思っていました。巨人だけが残っていましたが、独立リーグに行くことも頭に浮かべていました。そこで頑張って、もう1度、チャレンジになるのかなと…」
 会場には数人の記者と10人程度の大学関係者がいた。重苦しい空気が流れる中、映し出していたインターネット中継からの音声が響いた。「読売巨人 育成12位 加藤廉 東海大海洋学部 内野手」。瞬間、拍手が沸き起こり、加藤はゼミの教授、手塚監督と抱き合った。
 「もう、自分の名前が出るとは思っていなかったので、本当にうれしかったです」
 手塚監督にとっても、教え子が「ドラフト指名待ち」の状況になるのは初めてで、「これまでの人生の中で、最も感動した瞬間でドラマのような感じでした」と表現した。

高校時代は「ガリガリ」

 加藤は、181センチ、80キロで胸板、臀部が張っている。プロに入るにふさわしい体だが、手塚監督は「うちに入った頃はガリガリでした」と明かした。当時の体重は67キロで細身。加藤自身も「とてもプロを意識できるような選手ではなく、高校を出たら野球をやめて就職するつもりでした」と振り返る。それでも、手塚監督は、島田工の試合や練習を見て、加藤が走攻守で伸びていく可能性を感じ、声をかけたという。加藤も「好きな野球を続けられるのであれば」と受け入れ、想定外だった進学を決めた。
 入学後、1年から公式戦のベンチに入るも、体づくりに重点を置いた。「とにかく筋トレと食事を意識しました。間食もして、今では2年前に買った私服のサイズが合わなくなりました」。2年春からは出場機会を多く得られるようになり、新人賞を獲得。3年春には、3本塁打で静岡学生野球リーグ本塁打王になり、東海大海洋学部の18季ぶりリーグ優勝に大きく貢献した。
 「やっていて楽しいし、勝つ喜びを感じるようになりました。そして、勝ち続けるためには、自分が伸びないといけないと思い、練習への意識も変わってきました」
 4年になる前には、手塚監督から、主将を務めるように告げられた。小中高を通して1度も経験がない大役で、「自分でいいのか。できるのか」と思ったが、苦労を覚悟で受け入れた。
 「まとめることは、想像以上に大変でした。自分は口で細かく言うタイプではないので、結果を出すことで引っ張ろうと思ってきました」
 春のリーグ戦は、新型コロナウイルス感染拡大で中止。練習も一時中止になったが、再開すると、グラウンドにプロ野球のスカウトたちが姿を見せるようになった。その数は10球団に及び、加藤は初めて「プロ野球選手になれる可能性があるのかも」と意識するようになったという。
 結局、巨人の他、オリックス、ロッテ、広島の計4球団から調査書が届いた。そして、ドラフト会議で大トリの123番目に指名を受けた。巨人は支配下で7人、育成枠で12人を指名しているため、加藤は巨人の新人では19番目の男だ。
 「一番下で指名されたのですが、今、使っているグローブを買ってくれた双子の弟、家族全員、中学、小学校時代にお世話になった方々が、とても喜んでくれました。立場的にも、自分は失うものはない。ガムシャラに努力して、支配下を勝ち取りたいです」
 手塚監督いわく、加藤は「鍛え甲斐があって、しかり甲斐のある選手」。追い込んだ練習でも、めげずに向かってくる姿勢があり、きつい説教をした翌日の朝も「おはようございます」と、屈託のない笑顔を見せるという。巨人は、球界でも「盟主」と呼ばれ、エリート選手が多くいるからこそ、手塚監督は「このまま泥臭い感じを出し続けてほしい。その方が存在価値が出てくると思うので」と願っている。
 最後尾から追い上げを狙う雑草男。厳しい世界での出世物語は、来年1月予定の入寮から始まる。【柳田通斉】

双子の弟は、社会人軟式野球チームに所属

 ◆加藤廉(かとう・れん)1999年1月12日、静岡県島田市生まれ。右投げ、左打ち。五和小で野球を始め、中学時代は小笠浜岡シニアで外野手。島田工では通算10本塁打を放った。東海大海洋学部では、1年からベンチ入り。2年春のリーグ戦には外野手、三塁手として12試合に出場し、新人賞を受賞。3年春には本塁打王になり、同大の18季ぶり6度目のリーグ優勝に貢献した。4年では主将を務め、遊撃手で出場した秋季リーグでは、46打数19安打で4割1分3厘、1本塁打、10打点、5盗塁。好きな芸能人は松岡茉優。家族は両親、兄、双子の弟。弟は社会人軟式野球のテクノスジャパン(沼津市)でプレーしている。

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