Q.福島に入ったときの印象は
災害派遣医療チーム 矢野賢一さん:「静かだなぁと思いましたよ」
静岡県指揮隊副隊長(当時) 望月寿成さん:「この世の風景だとは思わなかった。もう車はひっくり返って、全ての建物が津波でない」

「この世の風景だとは思わなかった」

画像: 「この世の風景だとは思わなかった」

静岡県からもいち早く被災地に

 あの日から、11日で10年―。マグニチュード9.0の地震と巨大な津波が東北地方を襲いました。当時、静岡県からもいち早く被災地に向かった人たちがー

ある人は、救急患者を搬送する医師。 ある人は、人命救助にあたる消防隊員。

被災直後の現場で、何が起きていたのか。今、振り返ります。

震災の記憶 あの日、彼らが見たものとは―

画像: 矢野賢一さん

矢野賢一さん

【2011年3月11日 午後2時46分】 災害派遣医療チーム 矢野賢一さん:「その日は非番。ちょっと買い物に出かけて車を降りたときにぐらっときて、うちの嫁が車揺らしたのかなって思ったが、部屋に戻ってテレビをつけたら東北の映像が流れた」

 聖隷三方原病院のドクターヘリに乗る医師、矢野賢一さん(当時40)。災害派遣医療チーム「DMAT」の一員として、被災地に向かいました。

静岡県も「緊急消防援助隊派遣部隊」を発足

画像: 静岡県も「緊急消防援助隊派遣部隊」を発足

 静岡県は発災直後に「緊急消防援助隊派遣部隊」を発足。当時、静岡市消防局警防課に所属していた望月寿成さん(当時49)は、地震発生の30分後、その準備にあたっていました。

静岡県指揮隊副隊長(当時) 望月寿成さん:「静岡市消防局の警防本部内に後方支援本部を立ち上げて、そこで全ての情報を集めて1次派遣。だいたい150名前後の人数を現地に派遣した」

Q。過去にそういうことはあった?

望月さん:「なかったです、初めてのケースでした」

 第1次派遣隊として県内各地から集まった消防隊員たち。救助隊、救急隊といった部隊を編成し、東北に向かいました。

開通前の新東名で「東北へ」

画像1: 開通前の新東名で「東北へ」

【2011年3月11日 午後7時すぎ】

 静岡市の葵消防署の救急隊長だった朝比奈孝さん(当時51)。日本坂トンネルでの火災やJR静岡駅前地下街のガス爆発事故でも、現場を踏んだ救助のエキスパートです。

静岡県救急部隊隊長(当時) 朝比奈孝さん:「津波注意報が出ていて、海岸線を通れないということで、まだ当時開通していない新東名の清水いはらI.Cから富士まで、舗装もしてないんですけど、その新東名を通ったという記憶が強いですね」

画像2: 開通前の新東名で「東北へ」

成澤央久さん

 静岡市消防の「特別高度救助隊」通称・スーパーレスキューの部隊長だった成澤央久さん(当時44)も当時をこう振り返ります。

静岡県救助部隊隊長(当時) 成澤央久さん:「静岡県としても初めての派遣でした。現場でどういう活動ができるのかがすごく不安でした」

 真っ暗の中を東名高速、通行規制のかかる東名高速を北に向かった隊員たちは何も分からないまま、被災地へと向かっていました。

静岡県指揮隊副隊長(当時) 望月寿成さん:「ただ『東北に向かってくれ』という指示だけで、(部隊を)発足させて、向かわせたというのが当時の状況です」

現地でも被害が把握できず…

画像: 現地でも被害が把握できず…

被害の全容が把握できていなかった

【2011年3月11日 午後9時ごろ】  発災4時間後に福島入りした医師の矢野さん。そこで、言い渡されたのが…

災害派遣医療チーム 矢野賢一さん:「現地からどのくらいの規模の災害が出ているとか、被災の人数もわからない。今のところ、医療ニーズがないということで、待機していてくれと」

 矢野さんは到着から2日間、ほとんどの時間で「待機」を余儀なくされました。現地でも被害の全容が把握できていなかったのです。

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