「神明ボウル」50年の歴史に幕(2) 97歳のボウラー「100歳までやれって言われたのに、閉店するなんて契約違反だ」 静岡市
オイルが塗りなおされたレーン。そこを次々と転がっていく、ボールの出所を見てみると、元気よく投げ込むシニアの姿が…
実は、神明ボウルには「リーグ」や「クラブ」といった集まりが10以上あり、多くのシニアが、和気あいあいとボウリングを楽しんでいました。
女性客:「雰囲気もいいですよ。気も使わないからね。まだやりたいから、他に行かなくてはいけないけど、探すのが大変ですよね」
男性客2人
「ここで友達になった。寂しいけどね」
「本当なら建て直して続けてもらいたいけどね」
男女の客
女性)「とうとう来ちゃったって」
男性)「もう古いのはわかっていましたから、いずれこの日が来るだろうと思っていましたけど、いざそうなると、やっぱりちょっと寂しいですよね」
みな、年齢は重ねていても、プレーは若者顔負け。次々と、ピンを倒していきます。
とらさん 御年97歳
そんなシニアの中に、神明ボウルのシンボルともいえる一人の男性がいます。
炎天下の中、背筋をまっすぐにして歩く男性、宗野虎三さん。その名前から、周囲には「とらさん」と呼ばれています。
宗野虎三さん:「(神明ボウルへ)30年ぐらいは、ほとんど歩いて行っている」
とらさんは、今も週に一度は「神明ボウル」へ通っています。一面にトラが描かれたユニフォームを身にまとい、おしゃれな帽子をかぶった「とらさん」。その年齢は…
宗野虎三さん:「宗野さんは何年生まれって聞かれるので、僕は「15年ですよ」って言う。その人は「昭和」と思ってるけど、「僕は大正だから」って、ははは。僕は97歳を超えました」
そう、「とらさん」は、御年97歳。アプローチを歩く足取りは軽く、ピンを見据えるその眼光は、まさに獲物を狙う「トラ」さながらです。
宗野虎三さん(97):「ボウリングをするからには、いい成績にしたいなと思いますけど。最低でもね、150は打ちたいですよ。それでないと勝負にならないですもん」
やるからには結果を求める。それが「とらさん」の流儀。
宗野虎三さん(97):「ボウリングはね、ストレスをなくすというかね、バーンって爆ぜたときの気持ちというのはね、やっぱ他には味わえないような、ストレスが噴き出してくるような、そういう感覚があります」
とらさんは「人気者」
そんな「とらさん」の周りには、自然と人が集まります。
女性に囲まれる、宗野虎三さん(97):「ボウリングに来ればね、「車寅次郎」みたいなもんでね。みんなを彼女だと思ってる。みんなそのつもりだよ。だから“デートボウリング”だって」
女性と宗野虎三さん(97)
妹)学区のボウリング大会があるので、その時はもう。
姉)だいたい1番か2番。だいたい1番。だけど緊張するみたいよ。こういうロケのときは。
とらさん)上がっちゃうんだよ。何でもね、話ができる状態ですよ。そういうボウリングの人たち? が非常に多いんですよ、僕は。
店から「100歳までやってくれって言われてた」
ただ、「神明ボウル」の閉店が、「とらさん」のボウリング人生の、一つの節目となるかもしれません。
女性と宗野虎三さん(97):「(店からは)100歳までやってくれって、がんばってくれって、俺も「がんばるよ」って言ったんだけどね、向こうががんばれなくなっちゃったから、契約違反ですよ」
姉)ここが、宗野さんが100歳になるまでがんばってくれないから、この建物が。契約違反、ははは
「閻魔様は俺を嫌い。連れてくるなって言ってる」
それでも、「とらさん」の顔から、笑みが消えることはありません。あくまでも前向きな姿勢の背景には、「とらさん」が自らしたためた、この言葉が…。
宗野虎三さん(97):「まあ、この年齢になって、今のように、よそのボウリング場でそこまでやるとなると、ちょっとやっぱり、無理かなあ」
Q.場所さえあれば、100歳はいける?
A.「そうそう。だから100歳にいっても、遊びのボウリングくらいを街へ行って、静活(bolo)かなんかで「やってみるか」ということは、あると思います。ただね、ボウリング場がなくなれば、どうすればいいのか、その暇の間は何をしたらいいんだろう。そういうことは考えてやるといくらでもあるんですよ。動けなくなって、みんなに介護してもらわなければしょうがなくなったら、もうどんどん、上の方に行きますよって、そうやって言ってるんです。だけどね、ちっともそれが来ないじゃないかって言うからね。閻魔様が俺を嫌いだと見えてね、「あの野郎を連れてくるな」って言ってるんじゃないかって、そんな冗談でごまかしてるんですけどね。ははは」