土石流災害から3カ月…サイレンの音を聞いて99歳の母を背負って避難した75歳の息子 仮設住宅で2人で生活 静岡・熱海市
土石流で寸断されていた道路は3カ月が経ち、バスが走るようになりました。
片山真人アナウンサー:「大量の土砂が覆っていましたが、そのほとんどが取り除かれました。今は山肌のように、茶色い地面があらわになっています。しっかりと道路の幅も確認できます」
発災3日後の映像と比べると、流された住宅やがれきが撤去され、被災地の復興の歩みが確認できます。伊豆山に自宅を置く後藤光雄さん、75歳。現在は伊豆山を離れて生活しています。
後藤光雄さん:「だいぶきれいになりましたね。私はずっと下の方でしたけどね。土石流があったとき、いろいろばあさん、母のことで頭がいっぱいだったけど」
後藤さんは当時、母・てる子さん(99)の介護のため、自宅で食事を作っていました。消防車のサイレンを聞き、足腰の弱いてる子さんを背負って避難。その後、2カ月半の間、避難生活が続きました。
後藤光雄さん:「老々介護ですからね、老々介護、私75歳、母親100歳。私は母親がいますからね。今の(仮住まい)でいいとこだ、いいとこだと言っているので、当分、あそこに住もうかなと思いますけど」
仮設住宅は自宅から車で15分ほどの県営団地。2週間前に避難生活を終えたことに加え、先週には、あるうれしいニュースも。
後藤光雄さん:「あそこに賞状が飾ってありますけど、記念に映していってください。100歳のご長寿を達成されたことはね、はい。あと3カ月くらいありますけどね」
来年1月に100歳の誕生日を迎えるてる子さんのもとに、総理大臣から賞状が届きました。後藤さんはてる子さんの介護用ベッドなどを自宅から運ぶため、自宅から近いこちらの県営団地への入居を希望しました。
てる子さんもベランダからの景色を気に入っている様子です。
母、てる子さん:「最高です。朝から晩までこのいい景色、私には一番いい景色です。今まで住んだ家で」
仮設住宅の家賃は1年間無料。ガス代と水道光熱費のみ被災者が負担します。後藤さんは当面の間、仮設住宅で生活する予定で、復興後に伊豆山に戻るか決めていません。
後藤光雄さん:「ここを気にいっているみたいですから、まあ、気にいってればそれでね、こんないい所ないと言っていますよ。別に問題ないですけど、また、どういうこと言うか分かりませんけど」
地元精肉店は売り上げ半分に 「人がいなくなった」
被災者が伊豆山を離れることで、影響を受けるのが地元の飲食店です。
伊豆山でおよそ60年続く精肉店。店主の熊倉光雄さんと妻の恵子さんです。土石流の後、売り上げは半分程度に落ち込みました。
下総屋精肉店 熊倉光雄さん:「やっぱりもとに元に戻っていないよね、しょうがないね」
熊倉恵子さん:「少ないですよ、みんないないし、来て下さる方がみんな亡くなったり、引っ越したりしているから」
店に直接的な被害はなく、発災数日後から配達営業を再開していました。一方、失ったのが地元のお客さんです。
熊倉光雄さん:「危険区域だから家が壊れていなくても入っていない。七尾団地に行ったり、あちこち行っているから、お客さんがいなくなっちゃった」
熊倉恵子さん:「本当に人がいなくなりましたよ」
被災地は「警戒区域」 被害がない住宅にも住めず
熱海市によりますと、土石流による建物被害は136軒。市は被災した地域を災害対策基本法に基づく警戒区域に設定していて、住民は被害のなかった住宅にも住むことはできません。熊倉さんはここからおよそ100メートルの場所に店を構えています。
店の前の道路は、バスと地元住民の車を除いて現在も交通規制が続いていて、店へのアクセスが悪くなったことも客足が遠のく原因となっています。
熊倉恵子さん:「土石流の前はコロナでしょ、コロナで本当にね、1月からずっとあれだった、我慢我慢というね、今度は土石流でしょ。いつまで我慢しなければいけないかただどれだけ。しょうがないね」
被災地を離れる人と被災地に残る人。生活再建が進む一方で、地域全体の復興に向けて新たな課題が浮かび上がっています。