【土石流災害】9月に警戒区域解除へ 避難生活を続けてきた被災者は今 静岡・熱海市
4月土石流災害に関連して、熱海市は警戒区域を9月1日に解除する方針を示しました。今も避難生活を送る警戒区域内の被災者の思いを取材しました。
後藤光雄さん、77歳。
おととしの土石流災害で被災し、熱海市内の市営住宅で避難生活を送っています。
後藤光雄さん:
「小松菜を私は入れるんですよ」
Qこれが普段の昼食
「そうですね。これだけですね。夜もほとんど食べませんから」
日課は小松菜や玉ねぎなど、数種類の野菜を入れた
スムージー作りです。
後藤さんの自宅は今も立ち入りが制限されている警戒区域の中にあるため、おととし9月この市営住宅に
99歳の母てる子さんと避難してきました。
後藤光雄さん:
「みなさんほがらかで、感じの良い方ばっかりでいいですねここも。こういう団地は初めてですけど、いいですねこういうところも」
ベランダからの景色がお気に入りだった、母てる子さん。
おととし12月老衰で息を引き取りました。
100歳の誕生日まであと1カ月のことでした。
後藤光雄さん:
「静かにね、本当に安らかにね、息が止まる瞬間止まりますよって介護の方が言ったんですけど、本当に安らかに眠るように、何の苦しみもなく息を引き取りました」
土石流発生直後
土石流発生直後、後藤さんは歩けないてる子さんを
背負って避難。
土石流は後藤さんの家のすぐ下を流れ下りました。
「これが僕の家の前です。下が土石流のあった場所です」
発災の9日後、一時帰宅した後藤さんが撮影した自宅周辺。
土砂やがれきの中捜索活動が続いていました。
「ここから一気に上から土石流が流れて、地獄の光景でした」
発災直後は、市内の学校に避難。
その後は、ホテルへ。
そして、また、別のホテルへ。
避難生活は、2カ月以上続きました。
後藤光雄さん:
「その日その日一生懸命生きてましたからそういうこ
ともあったんだと。今そのようにしか思い出せない。思い出せば色んなことが頭に浮かんできますので、その時その時のことが頭に浮かんできますので、いっぺんに話すとどういうことになるのかわかりませんけども」
住民説明会
4月、被災者を対象に開かれた住民説明会。
警戒区域内で暮らしていた50人ほどの被災者が参加しました。
熱海市 斉藤栄市長:
「9月1日を警戒区域の解除予定日といたします」
市は発災から立ち入りを制限していた警戒区域を、
9月1日に解除する方針を明らかに。
市によりますと、土石流の起点に残された不安定な土砂の撤去が5月末までに完了する見込みであるため
解除に至ったということです。
自宅が見える場所で
後藤さんがこの日向かったのは自宅が見える場所。
Q今屋根が見えてますけど
後藤光雄さん:
「そうそう。下から見るとよく見えるんですけど。この家ですね。こっからこの家。この家まで避難しようと思って、母親を背負って倒れた電柱ありましたけど。その下をくぐって、はだしで足滑りますよね。結構重いんですよ。母親背負うの」
警戒区域と同時にライフラインが復旧するのは、区域内46軒のうち32軒のみ。
後藤さんの自宅は復旧の見込みが立っていません。
後藤光雄さん:
「海がずっと見えますから。ちょうどここは見渡しが良いんです。向こうの方の海が見えますから。あと少しの辛抱だと思いますけどね。一生懸命皆さん役所の方が進めて頂いてますから」
それでも。
後藤光雄さん:
「とにかく楽しくね。自分の好きなことをやって健康だけ。77歳ですけど、私も。これからどうして人生を楽しくやっていこうか考えてますけど。色んな思い出がいいことも悪いこともありましたけど、これが人生かなと思う」