袴田巌さん再審あす判決 長い闘いの決着を前に巌さんとひで子さんは
いわゆる袴田事件の再審はあす静岡地裁で判決が出ます。弟を支え続けた姉の今の思いとは。
1966年6月30日未明、旧清水市でみそ製造会社の専務の家が全焼。
焼け跡からめった刺しにされた4人の遺体が見つかりました。
警察はみそ製造会社の住み込み従業員の袴田巌さんを逮捕。
袴田さんは無罪を訴えしたが、1980年に、最高裁で死刑が確定します。
2014年に釈放されるまで48年間、獄中生活を余儀なくされました。
支援者:
「若い時、蒲田行ったことあるんですか?」
袴田巌さん:
「あるんだね。生活してたんだ」
支援者:
「蒲田で? 女の人と一緒にいたの?」
袴田巌さん:
「ああ、そうだ。飯をくわにゃいかんからね。」
支援者:
「その人の名前覚えます?」
袴田巌さん:
「佐久間良子だよ」
支援者:
「そうなの?」
東京拘置所から釈放されて10年。
長期間の拘置所生活と、死刑への恐怖で精神を病み、今も現実と妄想が入り混じった世界にいます。
ひで子さんは
ひで子さん:
「死刑確定してから。1980年。拘禁症の後遺症というか、すぐ簡単になるもんじゃないのよね。」
そんな巌さんに代わって姉のひで子さんは、去年10月から15回に渡って開かれた再審の公判に、全て出廷。
弟の無実を訴え続けてきました。
長い闘いはようやく終わりを告げようとしています。
ひで子さん:
「もちろん無罪判決を望んでおりますよ。やっぱり弟は弟ですね。うん、可愛いとは思うが、可愛いって感じではないがね。 やっぱり弟だね。」
判決を前に、きのうひで子さんが明かした心境。
緊張感はなく、平常だといいます。
ブレない思いとは…。
ひで子さん:
「弟は無実だっていうことを信じていましたからね。
(無罪判決が出されれば)死刑囚じゃなくなるってことが1番大きい。今でもね、死刑囚が街中を歩いているけど、それでも死刑囚なんですよ。死刑囚は後がないのよね。死刑囚でなきゃ2年や3年の刑ならやりゃせん。死刑囚だからこそ頑張ってやってきた」
拘禁症状のため判決当日も、袴田さんは出廷できません。
その内容を、ひで子さんが直接伝える予定です。
ひで子さん:
「巌が正常かなと思うような時に、顔色を見て話をしようと思う。本当に巌に、あんたの言った通りだよって、前も言ったんですがね、そういうつもりでいます。」