【能登半島地震】恐怖と飢えと寒さに耐えながら…震度6強の揺れが襲った石川県珠洲市 被災現場を歩く

能登半島地震を受け、静岡朝日テレビの取材陣も発災翌日から被災地で取材を続けています。
9日は第一陣として現地に入った白鳥記者の報告です。午後2時現在、死者202人、102人の安否がわかっていません。

白鳥衛記者  石川・珠洲市 4日:
「震度6強を観測した珠洲市三崎町です。こちらの地区は海からすぐそばということもあり、津波の甚大な被害を受けました。住宅の1階部分は津波に流され、周辺には物が今も散乱しています。」

 震度6強を観測した石川県珠洲市では、各地で建物が崩壊。

 取材したこの日も、警察が捜索活動を行っていました。

 捜索は暗くなっても続けられました。ただ、余震があると…

(揺れを感じて建物から退避)
「揺れてます。揺れてます。退避!」

 高齢者が多く避難している集会場では…

Q.現状一番大変なことは?

奥濱勇信さん:
「第一に食べ物。国内の海のもの、田んぼ、畑、みなさんやっている。けどうちで蓄積していたものがみんな…。だから市から配給されるものに頼っている。」

 周辺は孤立状態。

 集会所に食べ物がないため、家に残った物をみんなで持ち寄ってしのいでいたといいます。

 そこから自分たちで情報を集め、役所まで配給を受け取りに行ったそうです。

奥濱勇信さん:
「僕らは役所まで取りに行って一度ご飯をいただきました。それも一度だけです。きょうのお昼だけ。それまでは、みなさんの家庭にあるお菓子とか餅とかで食べつないだ」

Q.電気がない状態で寒さはどうしのいでいる?

奥濱勇信さん:
「毛布にくるまって。下に敷く布団はあるが、上に掛ける布団がない。」

 奥濱さんの家もまだ何も手がつけられていない状態でした。

地震は、元日居間で奥さんと2人で過ごしていた時に起きたといいます。

奥濱勇信さん 居間:
「上から照明などが落ちてくるから、母ちゃん端に寝ていたけど、反対側まで来いと言って、2人で震えるほか無かった。怖かった。ほんとに怖かった。」

 片付けなどが済み、落ち着くことのできる状況になったら、奥濱さんは、また奥さんとこの家で過ごしていきたいといいます。

Q.ここの土地が好きだから離れる気はない?

奥濱勇信さん
「この歳でここを捨てて、この場所を離れるのは先祖様に申し訳ない。そこに仏壇があるが、仏壇だけは守っていこうと(思う)」

奥濱勇信さん宅