「怖かったけど誰も恨んでいない」…85歳の教え子たち スズキ鈴木修さん1年間だけの教員時代
2024年に亡くなったスズキの鈴木修相談役の「お別れの会」は、4月、東京とスズキ本社がある浜松市で開かれました。

和田佳代子記者(14日 浜松市):「これから、ここ浜松市に本社を置く自動車メーカー「スズキ」を世界的な企業に成長させた鈴木修さんのお別れの会がこちらの会場で開かれます。献花台には穏やかにほほえむ遺影が飾られています」

「お別れの会」には一般の参列者も続々と訪れました。
浜松市70代
Q:展示品を見て?
A.「生きている時を思い出すわけ。直にまた教えてくれるような感じがした」
鈴木修さんの庭を手入れしていた造園業者
「メガネとか赤いペンとか、最後は言葉が聞きづらくなった時によくメモを書いてあそこの木を切って欲しいとか、あれは残してほしいとか、そういう指示をもらったのを思い出す」
軽トラ市の関係者
「寂しいというのが率直な感想。また軽トラ市を開催していると、ひょっこり現れてくれるんじゃないかという感じがした」
1年間だけの教員生活…教え子も参列
8日、東京で開かれたお別れ会には、こんな人たちも…。
参列者:「私たちは85歳で、先生の教え子です。小学校の」

中央大学法学部に在学中、いわゆる“代用教員”として働いていたという鈴木修さん。
教員時代の教え子:「怖いところはありましたね。悪いことをするとバケツ持って廊下に立ってろって」

学校に勤めたのは1年だけでしたが、その後、長い付き合いとなりました。

教員時代の教え子:「でもね、みんな誰も恨んでない。男の子が本当に慕ってね。最近まで浜松に伺って、みんなクラスが仲良しなんです。先生のおかげで仲良し」
教員時代の教え子:「誇りですよ」
