被災直後の現地を取材した白鳥衛記者に聞く
石田アナウンサー:
被災地を取材した白鳥記者です。よろしくお願いします。白鳥さんは発生した1日の深夜から現地に向かったんですね。
白鳥衛記者:
はい。1月2日から5日までの4日間現地で取材をしました。私が取材したのはこちらの地図にある、「珠洲市」「志賀町」「七尾市」「宝達志水町」の4つの市町です。
中でも先ほどVTRにありました珠洲市は現在判明しているだけでも死者数が91人と石川県内で最も多く、ライフラインが途絶えるなど大きな被害を受けていました。
私が取材した珠洲市三崎町の寺家という地域は珠洲市役所がある中心街からは北に車で30分ほどの沿岸部にある地域で、震度6強を観測したほか甚大な津波の被害を受けました。
寺家地区では高齢者の割合が高く、電気や水道などのライフライン。そして携帯電話が通じないことによって、実質孤立集落となっていました。
石田アナウンサー:
被災者の方々の様子は?
白鳥衛記者:
避難していた方々に話を聞く中で、携帯電話が通じないほか、救援物資の情報や周辺道路の状況が分からなかったため、発災直後は物資が届く市役所に取りに向かうことすら出来なかったそうです。
久保アナウンサー:
支援の状況は?
白鳥記者:
寺家地区の被災者は発災から3日後の1月4日のお昼に初めて市役所で救援物資を受け取ったそうです。ただ、それも1人おにぎり1つ程度で自宅に残っていた食料や畑の大根などみなさんで持ち寄っている状況でした。
また、話を聞いた男性によると避難所となっていた集会場では70人ほどが避難生活を送っていて、その8割ほどが60歳以上。集会場では足をのばして眠ることもできず、高齢者が多いため、物資をとりに行くことも難しいという実質孤立状態となっていました。
石田アナウンサー:
石川県内の交通渋滞や携帯電話の状況は?
白鳥衛記者:
珠洲市から私が宿泊していた金沢市までは本来であれば車で片道3時間ほどで帰ることが出来る距離にあります。ただ、珠洲市で取材をした1月4日は午後5時に珠洲市を出発しましたが、金沢市内の宿泊先に到着したのは翌日の午前1時で片道8時間ほどかかりました。8時間かけて帰る道中、携帯電話の電波も途絶え、会社に安否の確認をすることができませんでした。また、取材中、何度か余震がありましたが、緊急地震速報も入らないため、非常に怖い思いをしました。
久保アナウンサー:
現地の行政の対応は?
白鳥衛記者:
石川県内の市町では発災直後から避難所の開設や給水車の手配など、早い段階での対応が見られました。ただ、震度7を観測した志賀町を取材した際には、朝から町役場に給水パックを求め、長蛇の列ができていましたが、3時間ほどで無くなりました。被災者に話を伺いますと、水や食料のほか、寒さをしのぐ毛布など、発災直後は一部の被災者にしか届いていない状況でした。
石田アナウンサー
現地を取材していて感じたことはありますか?
白鳥衛記者
海や山に囲まれている地域では、緊急輸送路の整備が必要だと感じました。被災地周辺では瓦屋根の古い建物が多く、地震で倒壊した建物が道を塞いでいるケースが多く見られました。珠洲市のように、山道が多く、津波の被害を受けやすい地域では孤立するリスクが高い可能性も考えられます。県内の同じような地域で被害を拡大させないためにも、緊急輸送路の整備や輸送路周辺の建物の耐震性を確認するなど対応を急ぐ必要があると感じました。