竜巻被害から1週間被災地は…焼津市の工場は発災から1週間稼働できず止まったまま被害額は計り知れず

須藤誠アナウンサー
「台風15号に伴う竜巻被害の発生からきょうで1週間。特に被害の大きかった牧之原市細江地区の上空です。ブルーシートの数を見てもわかるように被害も過去最大クラスとなりました。広範囲にかけて竜巻が襲ってきたことがわかります。まだ処置が追い付いていないそんな建物も多くあるようです。」
1週間がたった今も、爪痕は深く残っています。
「竜巻!」
「竜巻、やべえ、おい」
「やばいやばい」
台風15号による影響で、牧之原市から吉田町を襲った国内最大級の竜巻。
気象庁によりますと、風速75メートルと推定されていて、この規模の竜巻が観測されるのは県内でも初めてのことです。
牧之原市細江地区
進士陸斗記者
「牧之原市の竜巻被害からきょうで1週間が経ちます。電気などの復旧は進んでいますが、日々家の復旧作業に追われている住民の表情からは疲労の色がうかがえます。」
牧之原市細江地区に大きな爪痕を残した竜巻被害。
連日の厳しい暑さの中での復旧作業で、体力はもちろん、精神的にも疲労がたまってきています。
被災した住民
「やっぱり結構きつい。なるべく体は休めて、気持ちはあまり深刻に考えると辛くなる一方なので、今は片付けに専念したい。」
被災した住民
「(作業を)継続しているだけで、何かが終わるような気持ちはない。ただ復興できるように祈る。ボランティアで働いてくれる人たちもいるので、それがね・・・。ありがたい。」

牧之原市長は─
終わりの見えない復旧作業…。
牧之原市も、今後の市民の健康に注視しています。
牧之原市 杉本基久雄市長
「がれきの搬出に一つにとっても出しても出してもなくならない。牧之原市では被災者の皆さんが1日でも早く安心して生活できますように。1日でも早くゆっくり体が休められるそういう環境を整えたい。」
進士陸斗記者
「牧之原市の職員による被害認定調査が始まりました。調査員ら6人が写真を撮るなどして被害の状況を確認しています。」
きょうから牧之原市では、罹災証明書を発行するための被害認定調査がスタート。
住宅の傾きを調べるなど、被害状況の確認が行われました。
調査員
「たくさん軒数があるのでなるべく早めにはやらせてもらうが、一軒一軒 慎重に被害にあわれたお宅のことを思って調査をさせていただきたい」
調査は牧之原市の職員など30人体制で行われ、市は1ヵ月ほどで終了を目指しています。

焼津市の工場では
須藤誠アナウンサー
「こちらは焼津市の藤守地区です。画面中央に見えているのが、イチゴ農園のビニールハウスです。何棟もあるが、5列のビニールハウスがひしゃげてしまっている。凄まじい威力の突風が襲ったことがこれを見てもよくわかる」
竜巻とみられる突風被害は県内の広い範囲で確認されています。
気象庁は12日新たに、菊川市でも竜巻とみられる突風が発生していたと発表。
これで、静岡県内での突風の確認は5市1町に上っています。
風速65メートル規模の突風が襲った焼津市でも、復旧は道半ばです。
大場舞桜アナウンサー
「焼津市内にあるこちらの工場でも竜巻とみられる突風の被害が出ている。こちらにあるコンテナは横倒しとなり中の物が散乱してしまっている。そしてその上を見ると後ろにある倉庫の屋根も大きくめくり上がり、当時の風の強さが伺える」
工場長
「被災してすぐはもっとめくれ上がっていて、高圧線も外れて落ちて、それに接触して爆発みたいな、雷が落ちたような音が…。こういう形でほぼ潰れていて接続しているボルトもすべて外れてしまって」
大場舞桜アナウンサー
「中に人がいなくて本当に良かったですね」
発災直後に工場長が撮影した写真には、一瞬で変わり果ててしまった倉庫の様子が映っています。
自身の車も窓ガラスが割れ、車内にはその破片が散乱。
この1週間、工場の稼働は完全にストップしていて、被害額は計り知れません。
工場長
「過去、何十年とこの場所にあるが、近隣の住民に聞いてもここまでひどい被害は初めてだと言っている」
来週には工場を稼働できるよう、急ピッチで復旧作業にあたっていますが、“すべてが元通り”とはいきません。
工場長
「しばらく時間は…。もう構造からやられているので建て直しにしばらく時間がかかる。窓も全部で何十枚と割れているので、それを全部直すとなると、目途は正直立っていない」

高新田地区の民家にも
大場舞桜アナウンサー
「先ほどの工場から歩いて5分ほどの場所に来ている。このあたり一帯でも突風が吹いたとみられ、周辺の民家の屋根にはブルーシートがかけられている」
突風は、民家にも、深い爪痕を残しました。
家の屋根は剥がれ、ガレージの壁は飛ばされたままです。
今も業者が手配できず、応急処置のみの状態が続いています。
各地を襲った“国内最大級”の竜巻。
1週間経ったきょうも、被災地では不自由な生活を余儀なくされています。
