【深刻】干物購入額「過去最低」…20年で3割以上減少 干物工場は最盛期の5分の1 生き残りかけて新商品も 静岡・沼津市
愛知県から:「海鮮丼」
静岡市から:「生シラス」
山梨県から:「浜焼きとか海鮮丼」
神奈川県から:「こちらは握り」
富士市から:「海鮮丼を食べました」
観光客が沼津港で楽しんだのは海鮮丼や握り寿司といった海の幸。ところが、“あの沼津の特産品”の名前は出てきませんでした。それが「干物」です。
深刻な『干物離れ』 なぜ? 観光客に聞きました
実は今、日本人の干物離れが深刻な状況になってきています。最新の総務省の家計調査によりますと、去年の1世帯あたりの「干物」の年間支出額は「6635円」と過去最低の数字です。ここ20年間で比べると3割以上減少(2000年は1万279円)。この結果をもとに、沼津港の観光客に“本音”を聞いてみました。
神奈川県から:「(干物は)家では食べないので、ホテルの朝食とかで(食べる)。子どもたちはたぶん食べたことがないかもしれない」
Q、干物は知ってますか?
子ども「ううん」
Q,分からない?
子ども「うん」
愛知県から
Q、お子さんは干物はお好きですか?
A.「ううん 食べるのめんどくさいじゃないですか、干物って正直。骨も小骨も多いですし、それがハードル高いかなと思います」
静岡市から:「(干物を焼くのは)めんどくさいですね」
Q,何がめんどくさいですか?
A.「グリルの片付け」
富士市から:「(干物を)焼いた時のにおいが部屋の中に充満してしまうのがありまして、(干物を焼くのは)1年に2回ぐらいかもしれない」
干物は骨があることから、食べ辛く、焼くときのニオイや掃除の手間などを気にして敬遠してしまうことが要因のようです。
干物工場は最盛期300軒⇒60軒に
こちらは、国内有数の干物の産地・沼津市で100年以上干物を作り続けている「ヤマカ水産」。工場では大量のアジやホッケなどが一匹一匹丁寧に手作業で開かれていました。その味や製法などは、伝統を引き継いでいますが、やはり、“変化”を感じているようです
ヤマカ水産 小松寛代表取締役:「弊社も昔と比べると生産量は減っています。10年前と比べたら、枚数(生産量は)2割ぐらいは減っている」
需要が少ない状況が続いているため、現在は生産量を2割ほど減らして対応しているといいます。こうした“干物離れ”が、港町・沼津にも大きな影響をもたらしているようです。
ヤマカ水産 小松寛代表取締役:「最盛期は40年ぐらい前になるんですけれど、その時は300軒ぐらい(干物工場があった)。現在は約60軒で5分の1ぐらいに減ってしまっている」
Q,廃業する干物工場が多い背景にあるものは?
A.「魚の素材が安定して取れなかったり、市場の飽和しているところもある。あとは跡取りがいないなどで、(干物工場の)軒数が減ってしまっている」
新たな挑戦も…輸出や「中骨取ったアジの開き」
廃業してしまった干物工場も数多くある中で、なんとか干物離れに歯止めをかけようと、こちらの会社では新たな挑戦を始めたそうです。
ヤマカ水産 小松寛代表取締役:「現在は台湾 中国 香港 シンガポール、あとアメリカに干物を輸出している。数はまだまだ全然(少ないん)ですけれど、向こうに住んでいる日本人の方が食べることが多い。現地の方たちに馴染みはじめているかというと、これから」
海外への輸出を始めたいっぽうで、国内需要の復活に向けて、おととしから始めたというのが…。
ヤマカ水産 小松寛代表取締役:「中骨を取ったアジの開きになります。この真ん中の骨ですね、ここを外して開いて食べやすくしたアジの開きになります」
Q,中骨を取ったアジの開きを始めた理由は?
A.「お客さんから「アジの干物って骨が多くて食べにくい」という声をいただいてから。それから取り組んだ商品になります」
おととしから始めた「中骨を取ったアジ」の干物ですが、今では売り上げ全体の2割を占めるまでに急成長したといいます。ただ、この商品の開発には職人としての葛藤があったと言います。
ヤマカ水産 小松寛代表取締役:「(干物の)骨の周りの身が一番おいしいところだって、ずっーと言ってきて、(この部分を捨てるという)なかなかこれに踏み込むのにすごく葛藤があった。食べやすくすることで、食べる人を増やしたいというところから
中骨を取った開きを作り始めた」
この「中骨を取ったアジの開き」は県内のしずてつストアなどで販売しているそうです。100年以上続く 干物製造会社の5代目として小松さんは干物文化の継承を願っています。
ヤマカ水産 小松寛代表取締役:「まずは日本の国内の消費をもう一度見直しをする取り組み。もっともっと、若い世代の人たちが(干物を)食べる機会を増やして、しっかりと後世に伝えていく。もう一つは日本だけじゃなくて海外に向けて、この日本の干物の文化を伝えて発展させていく。今後これをしっかりとやっていきたいと思います」
時代と共に変わりゆく「食」。県内でも盛んな干物という文化を守ろうとする老舗の姿がそこにはありました。