模型メーカータミヤの田宮俊作会長が死去 静岡を「模型の世界首都」に

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模型にかける情熱は、最後まで…。

タミヤ 田宮俊作会長
「日本一、世界ナンバーワンです」

「模型の世界首都」として、静岡を世界に発信した模型メーカー「タミヤ」の田宮俊作代表取締役会長が、18日亡くなっていたことが分かりました。90歳でした。

 田宮会長は静岡高校から、早稲田大学を経て1958年に当時の田宮商事合資会社に入社。

 1977年にタミヤの社長に就任しました。

 今や世界で評価されている日本のプラモデル。

 そのトップランナーとして、業界を牽引する会社のブランド向上に努めてきました。

 コロナ禍で中止された静岡ホビーショーが2年ぶりに開催されたときも、熱い思いを語っていました。

タミヤ 田宮俊作会長
「小売店さん、皆熱心に集まってきているから、僕はもう絶対にやらなきゃいけない。我々はホビーの街にしようと思っている」

 その郷土愛からか、当時副知事だった静岡市の難波市長の 出版記念パーティーでは。

タミヤ 田宮俊作会長
「期待している。静岡は今眠ったよう。これを静岡らしくしていかなければ」

 その難波市長が先ほど、取材に応じました。

静岡市 難波喬司市長
「本当に深い悲しみと、謹んで哀悼の意を表したい。タミヤをこれだけの世界ブランドにしてきて、模型のまち静岡のイメージ作りに尽力いただいたということで、心から感謝を申し上げる。田宮会長の志、あるいは思いを引き継いで静岡市として、模型のまち、プラモデルのまち静岡をさらにさらに発展していきたい」

 タミヤによりますと、葬儀はすでに近親者のみで執り行ったということです。

 田宮会長の訃報を受け、元テレビ朝日のアナウンサーで、タミヤ模型史研究顧問の松井康真さんは…。

松井康真さん 午後4時ごろ
「先月も実は直接お会いしているんですけれど、とてもお元気でしたので、車椅子ですけれどね。ですからまさかこんなことになるとは思いもしなかったです。」

 松井さんは田宮会長と、 静岡朝日テレビの番組で20年ほど前に共演。

田宮会長 2006年
「メイドインジャパンなんて買うかって罵倒された。それじゃ世界一のもの作ってやればいいじゃないかと」

 小学生だった松井さんがタミヤのファンになったあるきっかけ…。

松井康真さん
「小学校3年生の頃にタミヤのプラモデルを作って、それで部品請求といいますか、それをタミヤに送ったら、丁寧なお手紙が小学生相手に来た。そこからの大ファンですから、もう50年以上で、しかも最近分かったんですけど、そのお手紙を書いたのは、当時のタミヤの会長だったということも分かりまして、本当にびっくり仰天してる」

田宮会長と松井康真さん
田宮会長と松井康真さん