難病乗り越え「最後の夏」 仲間とともに夢の舞台を目指す静岡学園の勝俣塁登選手

 夏の高校野球静岡大会はいよいよ5日開幕です。バットもボールも持てなくなる難病を克服し、仲間とともに夢の舞台を目指す選手を取材しました。

 2024年秋は県ベスト16、春も県大会に出場した、静岡学園。攻撃の柱として期待されるのが、外野手の勝俣塁登選手です。

● 静岡学園 勝俣塁登選手(3年):
ーー夏の大会、抱負を教えてください
「まずホームラン打てたらいいなと思います。チームとしては甲子園」

難病乗り越え「最後の夏」 仲間とともに夢の舞台を目指す静岡学園の勝俣塁登選手

 初戦に向けて気持ちを高める勝俣選手。突然の病に襲われたのは、2024年6月のことでした。

●静岡学園 勝俣塁登選手(3年): 
「最初は本当違和感だったんですけど、走ったときに肉離れじゃないですけど、足が急に動かなくなって、バットとかもボールとかも全然握れなかったんで」

 病院に行くと、医師からギラン・バレー症候群の疑いがあると告げられました。感染症によって、免疫システムが神経を攻撃し、手足に力が入らなくなる難病です。重症の場合、命にかかわることもあります。

●静岡学園 勝俣塁登選手(3年):
「高校野球はもしかしたらできない、諦めた方がいいって(医師に)言われて、本当にショック。甲子園もそうですけど、高校野球というのが憧れじゃないですけど、夢でもあったので」

 1ヵ月間の入院中、治療で食事が制限され、体重は12キロも減少。野球ができず、寝たきりの日々が続きました。父、智史さんは・・・

●父親 勝俣智史さん:
「親にも言えない葛藤、というかつらさは感じていたんじゃないかと思う。親としてはできることなら代わってあげたいというのはいつも思いました」

「塁登」という名前に込めた、塁を登るように、常に前を向いてほしいという願い。両親は、再び野球ができる日のために、支え続けました。

難病乗り越え「最後の夏」 仲間とともに夢の舞台を目指す静岡学園の勝俣塁登選手

 そしてもう一つ大きな支えとなったのが、チームメイトの存在です。グラウンドだけでなく寮でも一緒に過ごす仲間たちから、病院に励ましの声が届いたのです。

●静岡学園 勝俣塁登選手(3年):
「お前いないとだめだわ、チーム一つになれないと言われたので、今まで一緒にいた仲間が思ってくれていたのがうれしかったので正直」

「もう一度、みんなと野球がしたい」 退院後は治療を続けながら、走り込みや筋トレなど、リハビリに死に物狂いで取り組みました。そして2024年12月、半年ぶりに、仲間がいるグラウンドに帰ってきたのです。

● チームメイト:
「勝俣が戻ってきてくれないとチーム全員で戦えないので」
「勝俣がいるからみんなこうやって笑顔になれる」

難病乗り越え「最後の夏」 仲間とともに夢の舞台を目指す静岡学園の勝俣塁登選手

 リハビリの甲斐もあり、驚異的な回復を見せた勝俣選手は、春の大会で躍動します。県大会出場をかけた試合では、代打で起用されると貴重なタイムリーヒット。勝利に貢献し、完全復活を遂げました。

● 静岡学園高校  長谷川直樹監督: 
「正直歩行も困難という姿をずっと見てきたので、競技への復帰よりも普通の生活もどうなのかなと思っていたときもあったので、そういうことを考えると、今奇跡的と言っても過言ではないというか」

そしてこの夏、4番を任されることに。

●円陣 静岡学園 勝俣塁登選手(3年): 
「3年生は最後なので、最後までやり切って悔いなく終われるようにやっていきましょう」

 1971年以来54年ぶりの甲子園を目指す、静岡学園。勝俣選手のバットが勝利のカギを握ります。

● 静岡学園高校  長谷川直樹監督: 
「チャンスで勝俣に回せるか、そこがチームにとっても得点を左右する部分ではあるので「チャンスで回したい」と他の選手もそう思っている」

●静岡学園 勝俣塁登選手(3年):
「自分が苦しい中、励ましてくれていたチームメイトだったりスタッフ、本当に感謝しかないと思っているので、自分が(試合に)出て、結果を残せればそれが最終的にチームとして、親含めスタッフへの恩返しになればと思う」

「塁を登るように」 どんなときも前へ。仲間とともに、夢の舞台を目指します。

難病乗り越え「最後の夏」 仲間とともに夢の舞台を目指す静岡学園の勝俣塁登選手