戦地の父から届いた200枚以上の絵葉書 語り部続ける男性「戦争はむごい」 浜松市

 15日で、終戦から76年を迎えます。戦死した父が残したあるものを手掛かりに、語り部を続ける78歳の男性。戦争は二度と繰り返してはいけないと伝えています。

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父の出征は1カ月のとき

富田健太朗さん:「書いてあることを読んで、こういうことで親父は家族に対して、いろいろ考えていたんだなと、文面からわかります」

 富田健太朗さん、78歳。昭和17年。生後1カ月のとき、父・寛さんが中国へ出征しました。富田さんには大切に保管しているものがあります。

富田健太朗さん:「中国の戦地から、私の母親、3歳上の姉、祖父母にあてた手紙がこれだけある」

 父から届いた絵葉書は200枚以上。昭和19年4月から半年間、
戦地から送られてきました。こんな言葉が綴られています。

昭和19年9月25日
「サイパンの悲壮な玉砕や内地の決戦ぶりを聞く。我々も緊褌一番、頑張る秋がやって参りました」

昭和19年4月28日
「子どもの成長ぶりに驚くほど、早いものだと知りました」

 父の寛さんは郵便局に務めていましたが、32歳の冬、中部第3部隊に入隊しました。

富田健太朗さん:「サイパンの悲壮な玉砕や内地の決戦ぶりを聞く。我々も緊褌一番、頑張る秋がやってきました。しばらく手紙を出せないかもしれません。心配しないでくださいというのが最後で。だから、9月の終わりくらいから、大陸打通作戦も終盤に入って、それ以降は手紙は来てないですね」

 終戦後の昭和21年3月、中国からの引き揚げの途中、父の寛さんは慢性腸炎で亡くなりました。

「もう5年もすればしゃべれなくなる。資料を整えて、次の人に伝えないと…」 

 浜松市遺族会の副会長でもある富田さん。5年前から本格的に語り部を始めました。

富田健太朗さん:「これほど父親は戦場にいても家族を思っている。そういう人が犠牲になっているということは戦争はむごい」

 しかし、語り継ぐには76年という年月が重くのしかかります。10年前はおよそ3千人だった浜松市遺族会の会員は、今年、800人まで減りました。

富田健太朗さん:「自分たちも、もう5年もすれば、しゃべることもできなくなるから、資料を整えて、次の人に伝えていかないといけないということで取り組んでいます」

 次の世代に戦争の記憶を伝えていくため、富田さんは父が残した言葉を頼りに語り部を続けていきます。