竜巻被害があった静岡・牧之原市 被災した住民が心情を吐露「時間が経つにつれ忘れ去られてしまうことの不安が募る」

「あまりにも取材がない、報道がないじゃないですか、他県全く報道ないですよね」
「あぁ自分見ない」
「ねぇ、県内ニュースはね」
被災した家の片付け中、ボランティアの人たちに思いを吐露したのは芳村慧さん。
義理の父母の家が被災したことを受け、自営業を営むかたわら発災からこれまでに4回、自宅がある東京から牧之原市を訪れています。
家は小高い丘の上に建っていて、外から見るだけでも屋根の一部がはがれ、窓ガラスが跡形もないことが分かります。
「ここに住んでいるのは、70代中盤の老夫婦のみなので、僕がどうしてもいないときになると、にっちもさっちもいかないんですよね。そういうときにボランティアの方が来ていただいて」
「ほんとこころづよいですよね」
竜巻の被害を受けた直後に比べると、片付いたという、義理の父母の家の中を案内してもらいました。
Q被害としては窓ガラスが割れた?
「と思うじゃないですか、カベぬけているんですよね。これおしゃれじゃないですからね別に、普通に抜けたんすよね」
「がったんがったんいいだして、壁に飛散物が当たってた音みたいですけど、それが聞こえだした直後に一気に真っ白になったらしいんですよ。その瞬間に風船が爆ぜるみたいに出ていったのと入ってきたので、一瞬で全部ぐちゃぐちゃになったみたいですね」
壁や天井には紙や草と見られるクズがこびりついていて、突風が家の中を舞ったことを物語っています。
竜巻が襲った当時、家にいた慧さんの義理の父・好美さんはこう振り返ります。
「一瞬でバンって吹っ飛んじゃった。風が強い、一瞬で物が吹っ飛んだのはしょうがない。風が吹き荒れている中に我慢していた」
「起きちゃったことはしょうがないんで、これからどうやっていくかひとつずつやっていくしかないな」
この日は2階にある畳の撤去作業を主に行いました。
「いつまでも甘えちゃうから」
「こういう時甘えないとね」
「ありがとうございます」
「ここで甘えないといつ甘える」
「うれしい、ほんとうにうれしい」
徐々に復旧は進んでいるものの、発災から時間が経つにつれ忘れ去られてしまうことの不安が募るといいます。
「東京は温度差どころじゃない、知らないんです。そもそもここを。竜巻があったみたいね、ハハハで終わりですからね」
「知ってほしいですね。これはどう思うか僕がそもそも言える立場ではないんですけども、竜巻被害そんなに例ないじゃないですか、でも実際例はあったんですよね」
「まず命名ですよね、名前、竜巻被害に対する命名。名前を付けて災害があったという事実をもう少し広めないといけない。この先支援も滞る、教訓としても残らないっていうのがすごい怖いですね」
竜巻が襲ったその瞬間には現場にいなかった慧さん。東京と牧之原、日常と非日常を行き来しているからこそ見えるものがあります。
