浜松市出身・パラリンピック水泳で21個のメダルを獲得した河合純一さんがスポーツ庁長官に 河合長官が目指す新しいスポーツの景色は?

浜松市出身でパラリンピックで21個のメダルを獲得した「レジェンド」河合純一さんが、10月スポーツ庁の長官に就任しました。初のパラリンピック出身の長官としてどんなスポーツの景色を目指すのか聞きました。

 スポーツ庁、3代目長官、河合純一さん。

 浜松市出身で「全盲のスイマー」としてパラリンピックに6大会連続出場。

 金メダル5個を含む21個のメダルを獲得した「レジェンド」です。

 私が、初めて取材したのは、河合長官が早稲田大学3年生だった29年前。

 アトランタパラリンピックの直前でした。

 当時、彼が目の障害について言った河合長官の一言は、強く印象に残っています。

河合純一選手(当時)
「目が見えないということにおいて多少の不自由を感じることはありますが、基本的にそれも僕の一つの個性ですから」

石田和外アナウンサー
「あの時の心持はどういう気持ちであの言葉が出てきた?」

スポーツ庁 河合純一長官
「30年前を思い出すのはあれですけど多分 マイナスなことだけではないということを言いたかったんでしょうね」

 常に前向きにキャリアを積み重ねてきた河合さん。

スポーツ庁
スポーツ庁

東京デフリンピック

 オリンピックハンマー投げのメダリスト室伏広治さんからバトンを受け、パラリンピアンとして初めてスポーツ庁長官に就任しました。

 長官として、最初に迎えたビッグイベントが、国内初開催の東京デフリンピックでした。

石田和外アナウンサー
「国内でも盛り上がったがどんな感想を?」

スポーツ庁 河合純一長官
「静岡でも自転車競技をやっていただくなど本当に多くの皆さんに来ていただいて、東京オリンピックパラリンピックが残念ながらコロナで無観客という中で、関係者の皆さんの準備のおかげ」

 11月18日のサッカー日本代表親善試合では、森保ジャパンのキャプテン、遠藤選手の隣に河合長官が!

 スポーツ観戦のバリアフリーにむけた取り組みの一環で、ゲストとして招かれたのです。

石田和外アナウンサー
「遠藤選手の隣で君が代をうたった感想は?」

スポーツ庁 河合純一長官
「(選手時代に)何度も君が代をスポーツ現場で歌う機会はあったが 試合前に日本を代表するワールドカップ出場が決まっている選手たちとともに歌えるというのは改めて感動もしたし誇りを感じる瞬間だった」

スポーツ庁
スポーツ庁

目指すスポーツの新しい景色は

 就任から2カ月半、今後取り組むべき課題は・・・

スポーツ庁 河合純一長官
「スポーツを楽しめるようなそんな国にしたいというのは大きな目標。中学校の部活動の改革など取り組みを加速させているところ。それぞれの地域の特性を反映して生かしてもらえるような形で我々も支援していくことが大切」

 河合長官は、大学卒業後、地元浜松の舞阪中学校で教師という夢も叶えました。

 周囲のサポートを受けながら10年以上にわたって教育の世界に身を置きました。

石田和外アナウンサー
「当時、河合さんは厳しい水泳部の顧問だったが、ああいった経験は生きてくる?」

スポーツ庁 河合純一長官
「そこでどういう時間を費やし、自分の熱意や情熱を注いできたか。そういう先生方を間近で10年近く見てきたという経験は大いにあると思っているので。その頃にこういう将来があると思っていたわけではないが、人生に何一つ無駄なものはなく、そういったところから学んだり、気付いたりしたことを蓄積、構築していけばこういった先もあると思う」

 障害がありながらも、水泳というスポーツに打ち込み、いくつもの夢を叶えてきました。

石田和外アナウンサー
「スポーツにおける河合長官が目指す新しいはどんな景色?」

スポーツ庁 河合純一長官
「性別、年齢、障害の有無を越えて日常にあるべき、あって欲しいもの、あることによって人生の豊かさと心と体の健康と社会性を育てていく上でとても大切なものだと私は思っているし。そういうものを通じて人が集まったりつながったりという効果も生まれてくる。そういう施策を行っていきたい」

スポーツ庁 河合純一長官
スポーツ庁 河合純一長官
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